ナウ・レッツ・ビギン一覧
縄文浪漫(№382)
令和3年7月に「北海道・北東北縄文遺跡群」がユネスコ世界文化遺産に決定されました。決定理由は「草創期(16000年前)から晩期(3000年前)までの縄文遺跡が揃っている」ことらしいです。
発見された遺跡が縄文時代の何期の遺跡かを判断するのに、かつては、発見された土器が、どの時期の土器の形状や紋様と最も似ているかでなされていましたが、最近は14C年代測定法を利用することが多いようです。縄文遺跡の発掘調査が増加して、縄文時代の様子がつまびらかになるにつれて、縄文時代と弥生時代の定義がぼんやりとしてきているらしいです。弥生時代の特徴とされる稲作と集団定住生活の遺構が縄文遺跡から次々と発見されてきたからです。
例えば、縄文前期~中期の青森県三内丸山遺跡は、「狩猟生活に明け暮れて移動生活を常態とする原始的な縄文時代」という常識を覆しました。常時、数百人の人々が1500年間1か所に住んでいました。温暖な気候のおかげで、山の幸(鹿、猪、栗、団栗)、海の幸(貝、魚)に恵まれ、農作物(粟、稗、豆)の収穫も豊かであったので移動生活をする必要がなかったのでしょう。また、高度な建築技術(巨大木造建築物)や工芸技術(漆器)を持っていました。北海道産黒曜石や新潟産ヒスイの出土は交易の証拠であり、環状列石や土坑墓、甕棺葬、土偶副葬品は、精神的にも成熟した文化水準だったと想像できます。しかし、水田稲作跡は発見されていません。
縄文晩期の佐賀県菜畑遺跡(紀元前10世紀)で水田遺構、木鍬、石包丁、炭化籾が発見された時は「縄文人が米を作っていた」と大騒ぎになったらしいです。「水田稲作は、渡来人が紀元前5世紀頃の弥生時代に北部九州へその技術を持ち込み、九州から四国・本州へと一気に伝播した」という定説がひっくり返ったからです。
縄文時代には、世界最古の土器(16000年前)や芸術的な火焔土器、世界最古の土偶(13000年前)、世界最古の漆器(12500年前)が創作され、陸稲耕作(8000~6000年前)、水田稲作(4000~3000年前)も始まっています。縄文時代の日本文化は日本独自のもので、同時代の世界から見て文化先進国であったといえます。しかし、縄文時代に不遇の時代がありました。平成10年から10年間、小学校社会教科書歴史編から縄文時代の記述が消えたのです。その理由が「ゆとり学習教育で学ぶ内容を厳選し、(不要と)判断した結果」だというではありませんか。
我々現代人は、縄文時代に対して「未開で原始的で野蛮な社会」「狩猟漁労採集に頼る貧しい生活」「弥生人はしょうゆ顔、縄文人はソース顔」という偏見を持たない方がいいのかもしれないですね。
(古今)
戦後77年、日本にも、とうとうこんな時が来た!(№381)
日本は、つい最近まで本当に幸せだった、としばらく懐かしんだ後、考え始めよう。ウクライナへのロシアの侵攻をどう考えるかを真剣に。有事の概念も方法論もずっと忘れていた。
これからまず、
・頭慣らし(予備教育:危機は本当か、有事とはどんな言葉があるのか)
・歴史の過去(近代)と現代を学び将来を想像する。
・個人の価値観と民族(国民)の価値観を考え、その関係性を考える。
そのうえで、
・自立した国家でいたいなら、どうすべきか、
・従属した国家でよければ、どのように従属するか、どこまでの忍耐をするか、
を考えることとなる。
〔頭慣らしの言葉〕
❶核について
核を持つ独裁国家が世界に3つも存在する。その3つすべてに囲まれているのは日本だけ(日本が一番危険)。
❷EUについて
フィンランド、スウェーデンまでもがNATOに加盟しようとしている。フィンランドの首相は若干34歳。ドイツは、また強いドイツを目指し始めた(国民総生産額の2%を超えて軍備を整えると宣言、ロシアからのエネルギー輸入を中止するために25兆円の予算を2~3日で決断)。第2次世界大戦中、強いドイツにさんざんやられたヨーロッパ諸国がドイツを最も頼りにしている。
❸国連について
国連は機能しない。常任理事国は非道なことはしないという枠組み、信頼感が崩壊した。
❹日本について
日本はいつから考え始めるのか。日本の若者はいつから考え始めるのか。
❺日本の最大の弱点は
食料自給率(サツマイモを国土のいたるところで栽培すればカロリーは確保できるという)とエネルギー(化石燃料、天然ガスはほとんどを輸入しており、原発は安全性、攻撃からの脆弱性が問題)
❻防衛力について
自衛隊は憲法違反? 憲法違反のものをどうして使えるようにするのか。戦争になったら、どの程度持つのか(1週間? 3日という説もある。弾薬もあまりない)。日本を守る時は日本人が命を懸けて守らない限り、他国は応援してくれない。自衛隊が守れないときはどうするのか。日米安保は機能するのか。
(アナクロ)
新たに医師になられた皆さんへ(№380)
今年も1年目の研修医が4名来てくれました。皆さん、医師国家試験合格おめでとうございます。これから研修に入るわけですが、よろしくお願いいたします。今は国家試験に合格した安堵感と今後への不安を少し感じているかもしれませんね。
私の卒後1年目を振り返ってみますと、母校の医局に残ったこともあって右も左もよく知った先生方ばかりでした。実習での指導教官も何人もいましたし、気分的には楽でした。徐々に研修が進むにつれて学生時の実習と実践は全く別物だと思うようになったのをよく覚えています。病歴の取り方、視診・聴診・打診・触診の正しい仕方、得られた情報の整理、その情報が十分なのか?
何が足りないのか? どうすれば補充できるのか? 得られた情報を自分の中でどのように考えて結論を導き出せばよいのか? その結果をいかにして患者さんやご家族に説明するのか?
できることもあればできないことも多かったです。しかし幸いなことに、良き先輩、コメディカルの方々、同級生に恵まれていたので、徐々に力がついてきたのを実感できた記憶があります。もちろん次のステップに行くたびに壁にぶつかることもよくありました。今振り返ってみて重要だなと思うことがいくつかあります。清潔な身だしなみ、好感を持たれる立ち居振る舞い、基本的な知識が身についていること、同僚(医師、コメディカル)、患者さん、ご家族とのコミュニケーション力、などです。これらは医師のみならず、一人の社会人としても求められると思います。他にも皆さんが重要だと思っていることがあると思いますので、いつでも気軽に伝授してあげてください。お互いに刺激しあいながら毎日を送れればうれしいです。
医師としての力量を高めるのに近道はありません。一歩ずつ前に進みましょう。一緒に頑張りましょう、飲み会ができるのを期待しながら。
(ウクレレ・たぬき)
素人の、素人による、素人のための仏さま 第三章(№379)
今年(2022年)のNHK大河ドラマは、鎌倉幕府が舞台となっていて、政治の実権が貴族(朝廷)から武士に移る時代の移り変わりが描かれるのではないかと思います。鎌倉時代は、それまで厳しい修行が必要だった仏教が一気に大衆化し、人々の中に広まり、日本人の文化、思想、芸術、生き方などに大きな影響を与えることになった鎌倉仏教が発展した時代です。平安時代末期から鎌倉時代初期は、保元・平治の乱や源平合戦など数多くの戦が繰り広げられ、天災、飢餓と相まって「末法の世」と考えられました。そのため、それ以前は鎮護国家の祈祷を主としていた僧侶(官僚僧)の身分から離れて民衆を救う仏法を求めた法然を祖とする浄土宗をはじめ浄土系四宗(浄土宗・浄土真宗・時宗・融通念仏宗)が登場し、一気に大衆化しました。また、座禅を特徴とする禅宗(栄西が伝えた臨済宗、道元が伝えた曹洞宗)が武士の間で人気を得ました。禅宗は、栄西、道元が中国(当時の宋)に渡って学んできたもので、座禅だけでなく日常のあらゆる作法の修行が厳しいとされています。禅は、インドから達磨(あの縁起物の「だるま」のモデル)によって中国に伝わり、唐と宋の時代に最盛期を迎えていました。
さて、鎌倉の仏像といえば最も有名なのは、建物の中に安置されていない鎌倉大仏ではないかと思います。この大仏は、浄土宗の仏教寺院 高徳院の本尊である阿弥陀如来坐像で、創建当初はお堂の中に収められていたようですが、大風や地震により損壊し、大仏自体も荒廃が進み、江戸時代に復興されています。この大仏の作者は不明ですが、「慶派」と呼ばれる運慶、それに連なる仏師たちの作風と中国宋代の仏師達からの影響の双方を併せ持つ、いかにも鎌倉期らしい仏像といわれています(高徳院ホームページより)。その運慶や快慶は、鎌倉時代の仏像彫刻を代表する仏師で、奈良東大寺南大門の両脇でにらみをきかしている「阿形」と「吽形」の仁王(=金剛力士)像が有名です(以前書きましたが、仁王は仏教世界のガードマン的存在とイメージされる「天」の階級に属する仏様とされています)。鎌倉時代の仏師とはいっても、鎌倉の地における仏師というわけではなく、奈良東大寺の復興や興福寺、静岡、横須賀の寺院などの造仏をしており、さらに全国の多くの寺院には彼らの作とされる(その真偽が不明なものも多数)仏像があるようです。快慶は、若いころは当時の朝廷の権力者だった後白河法皇に気に入られ、多大の支援を受けていたとのことです。大河ドラマでは、多分ここら辺のからみは描かれないでしょうけれど、ドラマを見る時に何かしら参考になれば幸いです。
To be continued !
(神仏習合)
コロナの記憶(№378)
コロナの波に2年間もまれ続け、いつになったら収まるのだろうと不安が覆います。ただ、ワクチンや治療薬の開発、普及が進み、心の中の景色は以前とはいささか違うように映ります。歓迎すべき変化なのでしょうが、気がかりな面もあります。こうやって緊張と弛緩を繰り返すうちに、忘れてはならない話も一緒に記憶の奥底に追いやってしまうことにならないだろうか。
大正時代の半ばに世界中で大流行し、日本国内だけで約40万人が亡くなったいわゆるスペイン風邪を思い起こすと、継承することの難しさを痛感します。今回のコロナ禍まで、約100年前のこの災厄が一般の人の関心を集めることは、ほとんどなかったと言ってもいいでしょう。スペイン風邪の場合、人の脳裏に焼きつくような写真や映像も乏しいし、流行の始まりや終わりがいつなのか判然とせず、節目となる日も定め難いです。パンデミックは、戦争や地震などに比べても、後世に伝えるのが難しい性質をもつ出来事といえます。
もちろん図書館や博物館には、当時を語る資料が保存されています。多くの文人が経験を書き残したし、新聞報道もありました。でもそうした記録だけでは、ただちに継承につながらないと福間良明・立命館大教授(歴史社会学)は指摘しています。
「人々の間に『記憶』として定着していくためには、ばらばらで膨大な記録から切り口を探り当て、議論を重ねなければなりません。どんな議論になるかは、人々の意識や社会の状況次第。コロナ禍の記憶もこれから作られるのです。」
現実はどうでしょうか。コロナ禍に翻弄され、非日常が日常になる中、その時々に考えたことや抱いた思いが、一人ひとりの中からこぼれ落ちていってはいないでしょうか。少しでいい、立ち止まり、この2年間のあれこれを拾い集め、考える時間を持ってはどうでしょうか。自分が得たもの、失ったものは何で、次代に伝えなければならないことは何か。人それぞれに異なるでしょう。その物語を重ね合わせていくことが、コロナ禍で傷ついた社会を編み直すための糧になるような気がします。
(makonda)
寅年の新年を迎えるに当たって(№377)
急速にコロナ感染レベルが低下して行動基準が緩和された昨年11月半ばに、本州四国連絡高速道路主催の瀬戸大橋塔頂体験ツアーが再開されたのを機に参加しました。瀬戸大橋の中央に位置する与島SAにある管理事務所を、指示に従い、ヘルメット、イヤホン、ベスト、手袋、マスクで身を固めて出発し、徒歩で途中の遊歩道で巨大な瀬戸大橋の威容を眺めた後、吊橋を懸垂するケーブルの断面を刻んだ実寸大の模型像に立ち寄りました。直径5mmのワイヤー127本からなる1本のストランドを271本束ねて、径1mの1本のケーブルができあがります。そこを過ぎると多数のケーブルを地上で支える巨大なアンカレイジ(橋台)に到達します。構内に入ると、担当者1名が付き添い、参加者3人の計4人1組で高さ150mにあるアンカレイジ最上部にエレベーターで達し、高速道路の直下にあるマリンライナーが通る線路の外側に設置された保守点検用通路に出て、海風を受けながら足下に瀬戸内海の海面を見て進みます。橋脚主塔に水平移動した後、さらにエレベーターで海上175mにある左右主塔を結ぶブリッジ即ち塔頂に到着しました。
南を向けば坂出から真直ぐに伸びる南備讃大橋、北備讃大橋の2つの大きな吊橋が、車が行きかう高速道と共に眼下に一直線に見下ろせます。振り返って北の鷲羽山のある児島側を見ると、櫃石島、岩黒島を伝ってしなるように曲線を描く斜張橋と高速道路を目にすることができました。午後からの晴天に恵まれ、美しい青い空と瀬戸内海とその島々が点在する周囲の風景を塔頂の視点から360℃俯瞰することができた貴重な体験でした。技術者出身のガイドの方から,実際の工事の工法から、橋脚を支える橋梁技術の工夫についての説明を受けました。耐荷重、耐風力、耐震、電波・レーダー対策など安全を期して数倍のマージンを取って実験と計算を繰り返して建設されたそうです。また、瀬戸大橋は、上部が高速道路、下部が鉄道橋の2重の構造となっており,現在の鉄道橋に並んで新幹線用のスペースも実は確保されています。瀬戸大橋の開通は1988年で、すでに33年が経過していますが、当時は日本経済の絶頂期にあたり、その時点の最先端の橋梁建設技術が投入され、“ジャパン・アズ・ナンバーワン”と呼ばれた時代の日本の国力を背景とした、関係者の情熱と努力に頭が下がりました。
昨年は、新型コロナの全国的な蔓延で、地元での自粛生活が専らでしたが、身近な四国の中に訪れるべき場所や歴史がたくさんあることを逆に教えてもらった1年でした。科学立国のはずが経済優先を連呼し、防疫を疎かにして、結果的にコロナウィルスの全国的な蔓延を招き寄せたグローバリゼーションやインバウンド重視の思考を改め、科学に立脚した合理的で迅速なコロナ感染対策を行いつつ、地元中心の地方活性化の必要性を強く感じます。年頭に当たり、本年がコロナウィルス感染の終息を迎える端緒となるよう願う次第です。
(一県民)
テクノロジーが拓く「共生社会」(№376)
コロナ禍の中、2020東京オリパラが無事開催されました。パラアスリートの想像を超えた素晴らしいパフォーマンスに驚かされました。アスリートの努力はもちろん、競技用車椅子や義足など、先端技術によって性能が向上し、記録やパフォーマンスが急速に向上しています。
国は、「障害者基本法」で「個人の尊厳が重んぜられ、社会の一員として社会、経済、文化その他あらゆる分野の活動に参加する機会が与えられる」と宣言し、目指す社会として、障害の有無にかかわらず、誰もが人格と個性を尊重し支えあう「共生社会」を挙げています。
共生社会の実現には、社会インフラの整備と、個々の障害によるハンディの軽減が必要です。東京オリパラの開催を機に、バリアフリー化など社会的弱者のための社会インフラの改善はかなり進展したといわれています。
近年、デジタル技術の発展は目覚ましく、社会活動のあらゆる分野でIoT(モノとインターネット)やAI(人工知能)がなければ何も始まらない状況です。障害者や高齢者のための社会インフラ整備においても必要不可欠です。国の「Society5.0」構想で提唱されている、社会インフラ改善のための具体例が「スマートシティ」構想です。「都市内に張り巡らされたセンサー、カメラ、スマートフォン等を通じて、環境データ、設備稼働データ、行動データなどを収集、統合してAIで分析し、必要に応じて設備、機器などを遠隔操作することで、都市インフラ、施設、運営業務の適正化、企業や生活者の利便性、快適性の向上を目指すもの」です。すでに自治体や企業が取り組んでいます。
また、テクノロジーは、弱者の目耳手足になり得ます。障害による社会参加への壁を壊そうと、多くの研究開発が行われています。例えば、視覚障碍者が一人で街中を移動できる「スーツケース型ナビゲーションロボット」です。複数のレーザーセンサーが周囲を360度認識し、障害物や歩行者までの距離を測定する。スマホから音声で情報を伝えてくれ、連動して取っ手部分の側面が振動し進行方向を教えてくれます。すでに実証実験が行われています。
もう一つは「分身ロボット」です。カメラ、マイク、スピーカー等が搭載され、インターネットを介した遠隔操作で、自由な移動動作が可能なだけでなく、ロボットを通じて、身振り手振りを交えて自然なコミュニケーションが可能です。すでに障害者の分身ロボットが接客するカフェが東京日本橋に開店しています。そこからテレワークでの受付業務などで、企業に就職する障害者も出てきています。
近い将来、本当の「共生社会」が実現できることを期待したいものです。
(だだんだん)
女優たちの足跡(№375)
「蓋棺事定」、棺を蓋いて事定まる、すなわち、人間の真価は死んでから決まる、というが、最近、私は本邦の二人の女優の足跡を辿る中で、改めてその思いを深くするに至った。
ひとりは乙羽信子。昭和58年4月から一年間放送されたNHK連続テレビ小説『おしん』で、当時60歳になったばかりの乙羽は、主人公の晩年を見事に演じきり、大きな感動を呼んだ。彼女は13歳で今の宝塚音楽学校に入学、娘役トップにまで成長して看板スターとなり、その名声をひっさげて26歳で映画界に転身。翌年27歳時の『お遊さま』(監督溝口健二)では田中絹代の妹役で宝塚時代を彷彿とさせる可憐な姿をみせている。しかしこの年、運命の人、新藤兼人監督と出会って以降、新藤と公私にわたるコンビを組み、28歳で本邦初の被爆映画である『原爆の子』、30歳で社会の最底辺をのた打ち回る女を演じた『どぶ』、そして36歳で、生きるため瀬戸内海の小島で水桶を山の畑に延々と運び続ける夫婦を演じた無言劇『裸の島』と、映画界にショックを与え続けたが、私が最も胸打たれたのは二人の最後の作品『午後の遺言状』である。71歳、癌と闘病中だった彼女の表情、演技は観客の眼を釘付けにしたが、遺作となった本作で日本アカデミー賞最優秀助演女優賞を得た乙羽の遺骨は、遺言どおり『裸の島』の舞台であった広島県三原市沖の宿禰島に散骨されたという。
もう一人、最近私の中で大きく評価を上げたのが浅丘ルリ子である。私にとってそれまでの彼女は、化粧の濃い日活ヤンキー映画の女優さん、という程度であったが、最近、彼女が、当時親しかった佐久間良子の『五番町夕霧楼』を観て衝撃を受け、会社に直談判して24歳で出演した『執炎』という作品があるという映画評を見、これを観てみたが、確かにそれまでの印象を覆す出来栄えであった。これを契機に彼女の作品群を漁り始めたのだが、15歳でオーディションを勝ち抜いた処女作『緑はるかに』での美少女ぶりに驚き、『男はつらいよ』シリーズのマドンナ・リリー役でのピッタリ感に唸り、昨夜観た2011年公開の『デンデラ』という、あの姥捨て山伝説での、棄てられた老女達の後日談という奇抜な構想の作品では、主役の老婆を美しく怪演する様を堪能した。その彼女、現在81歳だが、11月28日から日曜夜のNHKBSプレミアムのドラマ「生きて、ふたたび
保護司・深谷善輔」(全8回)で自分の子供を殺して服役・仮出所した女を演じるという。楽しみである。
(J.F.)
相互尊重を実践するための上司のスキル(№374)
厚生労働省のハラスメントをなくす「明るい職場応援団」のホームページの内容の一部を要約して紹介します。相互尊重とは、相手の人格も自分の人格も尊重する、ということです。「部下を育てる・後輩を指導する」ときのコミュニケーションスキルに関することです。
スキル1【事実ベースで100%褒めて、一緒に喜ぶ】
部下が成果を上げたときには、具体的事実で、掛け値なしで褒める。そして、自分も一緒に喜ぶ。
スキル2【事実で叱り、解決策は情報共有】
事実の大きさで叱る。「納期3日遅れだよ」「1枚のレポートにミスが4つあったよ」と具体的な事実を取り上げて指摘します。
失敗+解決策はオープンにしてチームで共有する。失敗をバラすのではなく、チームの今後のためにその解決策を共有することが目的です。
スキル3【メンツを気にせず部下に謝る】
気付いたらすぐに、取り繕わずに、短く謝る。小さなことでも、自分のミスに気付いたら「すぐに、取り繕わずに、短く」謝ることが鉄則です。謝るお手本を示す、と考える。
スキル4【権限委譲する】
途中で口出ししない。部下に「信じて任せてくれている」と感じてもらうことが、その仕事を成功させ、部下に成長してもらう一歩です。
スキル5【逆「ホウレンソウ」する】
「ホウレンソウ」は社会人の基本。新入社員研修でも必ず教わることです。会議の結果を報告したり、上司がホウレンソウしてくれると部下も仕事がしやすくなります。
攻撃的過ぎる上司の下で育った部下は、怒られるのが怖くて失敗を隠したり、報告をねつ造してしまうことにつながります。受身的過ぎる上司の下で育った部下は、上司の反応が少ないのでやる気を失ったり、上司をなめてかかります。きちんとしたコミュニケーションをとって育成することは手間ひまかかるようですが、結果、自立した部下育成につながりやすくなります。上司としての自分の目的達成のためにも部下には相互尊重の態度で対応しましょう。
(まつりの夜店)
テレビでラジオ体操(№373)
年齢を重ねると次第に身体が硬くなり、肩こりや腰痛に悩む毎日です。健康を維持し、少しでも身体の柔軟性が保てるように、Eテレ放送のラジオ体操を数か月前から始めました。
動きの中には、飛んだり跳ねたりする苦手な運動もありますが、前屈・後屈・ひねり・屈伸等様々な運動があり、腕を大きく振って肩を回すとグリグリと音がして気持ちの良い痛さを感じ、朝の眠った身体を目覚ましてくれます。
ラジオ体操には、第一と第二(第一と比べるとダイナミック)があり、NHKのEテレで朝6時25分から10分間、「みんなの体操」として指導者が日替わりで柔軟体操の指導の後、軽やかな号令(息を吸って~!はいて~!笑顔で~!)を発して放映されています。
♫ 新しい朝が来た 希望の朝だ
喜びに胸を開け 大空あおげ
ラジオの声に 健やかな胸を
この香る風に 開けよ
それ 一 二 三 ♫
ラジオ体操の歴史を調べてみました。
・大正12年3月・・・ラジオ放送による健康体操がアメリカの生命保険会社で行われる。これを見聞した先人が、「誰にでも簡単に出来る」、「内でも外でも いかなる場所でも出来る」等体操の開発を提唱しました。
・昭和2年9月・・・NHKが旧ラジオ体操第一を制定し、翌年11月からラジオ放送開始
・昭和26年5月・・・現在のラジオ体操第一を制定、放送開始
・昭和27年6月・・・職場向けとしてラジオ体操第二を制定、放送開始
・平成11年9月・・・みんなの体操を制定
小学生の頃、校庭での朝礼の後や、夏休みに子供と一緒に近所の公園でラジオ体操をした想い出があります。結構、本気で取り組むと、少し汗ばむくらいの運動になります。出勤前の忙しい時間帯ではありますが、心もリフレッシュされ、病気の予防に繋がると信じ、継続して行うように意識して取組んでいます。
皆さんも明日から一緒に、♫「それ 一 二 三」♫
(お茶飲み)
ボランティア(№372)
コロナ禍、猛暑の中、お仕事お疲れさまです。病院の皆様には、ボランティア精神を大いに発揮して、日々お仕事に励まれていることに敬意を表すとともに感謝致します。病める患者様に優しい声掛け、対応にはいつも感心、感動を覚えています。
良かれとしてしたことが、そうでなかったり、と思うようにならないことも多いと思います。伝えたことが伝わっていなかったりということがあっても、皆様は、素晴らしいコミュニケーション力で乗り超えられているのではと思います。
今、ボランティア活動の中で、『ヘアドネーション』という活動があります。ヘアドネーション(Hair Donation)とは、小児がんや先天性の脱毛症、不慮の事故などで頭髪を失った子どものために、寄付された髪の毛でウィッグを作り無償で提供する活動です。髪がないことで外出しなくなったりする子どもたちに勇気を与える取り組みで、女優の柴咲コウさんなどの有名人が賛同して髪を寄付したことで、近年は寄付が急増しているそうです。寄付する髪の毛の長さは、31cm以上となっています。該当するヘヤをお持ちの方、心当たりのある方がおられましたら、脱毛で苦しんでいる子どもたちの笑顔のために、力を貸していただけたら幸いです。
最後に、先日、日経に載っていた教育関係の方からの格言を、皆様にお贈り致したいと思います。
「凡庸な教師は、ただしゃべる。良い教師は、良く説明する。優れた教師は、自らやって見せる。そして、偉大な教師は心に火をつける。」
教育でも医療でも、心に響く言葉が一番大切と思います。
(ナズトラビ)
蜂の勘違い(№371)
若葉茂る今年の4月のことです。家の裏の津波避難路周辺の草むらを、長刀のように柄の長いカマで刈っていました。しばらくすると、「ブーン!」という威嚇の音が耳元で聞こえました。見ると一匹の蜂でした。なおも草刈りを続けていると、私の目の前で、ヘリコプターのように、じっとホバリングして離れません。まるで「もうこれ以上は巣に近づかないで」と言っているようでした。仕方なく、私は「はい、分かりました」と言って、その場から退きました。蜂が近づいてきても、何もしない人を刺すことはないと言われていますし、私もそのとおりだと思います。なのに私は去年も、3年前にも蜂に刺されました。それも蜂の勘違いのために。
去年は、家の裏の小さな畑で、足元の野菜を見ながら、自分の左前にあった竹の支柱を、何気なく、よそ見しながら、つかもうとしたときのことでした。左手の小指に「チクリ!」ときたので、何かに刺されたかも、と思った次の瞬間「ズキン!」という強い痛みが走りました。3年前に刺されたときの痛みがよみがえってきて、この痛み方は蜂だな、と思いました。私は足元の野菜に気を取られて、竹の近くにいたか、竹に止まっていた蜂の存在に気がついていなかったようです。
3年前に刺されたのも同じ畑で、細長い棒状の角材を両手でつかんで、置き場所を替えていたときです。蜂が近づいてきたのは知ってましたが、角材を両手でつかんだ状態で急にくるりと方向転換をしたのがよくなかったようです。近くにいた蜂は、角材で叩かれると勘違いしたのではないかと思います。そのときは左腕を刺されました。自称「昆虫大好き人間」である私を何で刺すのかと思いますが、蜂には蜂の都合があるようです。
刺されたときには、家の近くの病院に駆け込みます。すると女医さんと看護師さんが患部を思い切りつまんで毒を絞り出してくれます。そのおかげで、翌朝は患部が赤く大きくパンパンに腫れあがることはありません。少しは腫れますが。
人を刺す蜂は、数多くいる蜂の種類の中の、ほんの一部のようです。スズメバチ、アシナガバチ、ミツバチなど集団で生活をしている蜂が刺すようです。春の蜂は巣作りで忙しく、人が指で触ったり、足で踏んだりしない限りは刺されないと聞きます。ところが、夏から秋にかけては、巣が大きくなり、蜂の家族が増えてきます。そうなると危険になるようです。つまり、蜂は巣を壊されたりするのを防ごうとして人を刺すようです。そのため、蜂の巣を見かけても、あまり近づかないで、静かに通り過ぎるのがいいようです。人を刺さない蜂や、植物の受粉を手助けしてくれる蜂もいます。私たちもむやみに蜂を殺すことなく、蜂と仲良く暮らすようにしたいものです。
ご参考までに、ネットで調べた「蜂に刺されたときの応急処置」です。
・蜂の針が残っているときは、そっと抜く。
・蜂に刺された部分を流水で洗い流す。
・患部を氷や冷湿布などで冷やす。
・応急処置をしながら様子を見て、必要であれば病院で治療を受ける。じんましん、めまいなどアナフィラキシー症状が出たら救急車を呼んでください。
(エイト・ビート)
七五三の法則(№370)
コロナ禍の状況下、2度目の梅雨期を迎えますが、体調はOKでしょうか? 南海上に梅雨前線が停滞し、これから7月上旬ごろまで鬱陶しい日々が続きますが「三蜜」を避け、お互い忍耐強く自分磨きに注力するのもいいかもしれませんね。
さて、今回は、梅雨前線からの距離の遠近で、お天気がどうなるのか?「七五三の法則」について、ナウ・レッツ・ビギンとまいりましょうか。
梅雨前線から観測地点までの距離が
300キロ以内:雨降り
500キロ以内:どん曇り
700キロ以内:薄曇り
700キロ以上:晴れ
以上の4区分の目安が「七五三の法則」と呼ばれているようです。お暇な時間に新聞の天気図等でチェックしてみては? なお、距離の基準・目安としては、北緯40度線と30度線のライン間、地図上の東西の横線で、九州から東北地方までが、この範囲、南北約1,110キロ(緯度差10度)の範囲内にあります。したがって、例えば、梅雨前線が、北緯30度線上にあれば、緯度差より鹿児島までの距離は、222キロ、高知までは396キロ、東京までは633キロ、秋田までは1,081キロ(脚注参照)となります。梅雨前線から観測地点までの距離を、この法則に当てはめると・・・鹿児島は「雨降り」、高知は「どん曇り」、東京は「薄曇り」、秋田は「晴れ」・・・ということになります。梅雨期約1か月間の、お出掛けの参考になりますね!
蛇足となりますが・・・梅雨時は、山では風が強く、前線の雲がかかって視界が悪い。特に、最近では、地球温暖化の影響か、経験したことがないような大雨が降る可能性があります。登山の際は、低山といえども重々気を付けてくださいね。
勇気を出して第一歩を踏み出そう!
曲がり角の先に
きっと良い事があることを信じて。
それでは、いつか又の機会に ヘイヘイホー
(与作)
注)例示の北緯30度線からの距離算定は、観測地点の緯度をパソコンで調べ、これとの緯度差、1度当り@111キロ、1分当り@1.9キロを乗じて算定しました。
参考① 赤道から北極点までの距離 1万キロ÷90度=@111キロ
参考② 前線の位置と観測地点の緯度差
鹿児島2度00 分、 高知3度33分、東京 5度41分、秋田9度43分
出口治明氏の「最後の講義」を聞いて(№369)
コロナ禍の中、今年のGWはほぼ家に引きこもっていた。
数年前から、高校の同期7名とグループLINE「ももの会」をスタートし、日頃の出来事やちょっとした情報を交換し合っている。名称は、もちろん、山口百恵から取ったものである。
GW中に神奈川県に住むN君から「NHKの最後の講義(出口治明)を見て、いたく感動した。YouTubeでも見れるよ。」とのLINEがあった。暇にまかせて、早々視聴した。講義は、オンライン。スクリーンには、20~30代の若者を中心に大勢の受講生が食い入るように参加している。外国の人も多い。氏は語り掛ける。
「モチベーションはあきらめから生まれる」
大阪なおみのようなずば抜けた才能の持ち主はそうそういない。人間の90%以上は、やりたいことが見つからないまま死んでいる。だから、迷うのは当たり前。やりたいことや好きなことが見つからなくても焦ることはない。一生かけて見つければいい。
「人生は川の流れに流れて行くもの」
人生は、そうしたものである。その流れついたところで一生懸命頑張ればいい。そうすれば、きっと、面白いものが見つかる。
「縦・横・データ」
縦は歴史である。横は世界である。そしてデータ(数字)。この3つでアイデアを探れ。
「愛読書はダーウィン」
生き延びるのは強い者ではない。“運と適応力”のある者である。偶然の出会いと出来事に適応して生き残る。そのためには、まず“イエス”という気持ちを持て。
(出口治明氏のプロフィール)
出口氏は、三重県出身の73歳。京都大学法学部卒業後日本生命に入社。58歳で退社し、ライフネット生命を創設。その後、2017年(69歳)に同社の取締役を退任。2018年に立命館アジア太平洋大学第4代学長に就任。世界1200都市を訪れ、1万冊超を読破した“現代の知の巨人”、稀代の読書家として知られる。著書多数。歴史や宗教、哲学にも造詣が深い。
講義終了後の受講生の目が何と輝いていることか。私も一緒に引き込まれてしまった。それにしても、こんな講義がいつでも無料で聴講できるとは、凄い時代になったな~。そして、高校時代の同期は、いつまでも有難いものだな~。
コロナ禍でのGW。私にとっての贈り物であった。
(哀愁ボーイ)
人を残すということ(№368)
金を残して死ぬのが下
事業を残して死ぬのが中
人を残して死ぬのが上
江戸末期から昭和初期にかけて活躍した医師、政治家である後藤新平の言葉です。台湾総督府民政長官として台湾の近代化に尽力したり、帝都復興院総裁として関東大震災後の東京都市計画を立案し遂行したり、功績には枚挙にいとまがありません。また、後藤新平はたくさんの名言を残しており、東京都の小池百合子知事がよく彼の言葉を引用して演説をしています。
冒頭の言葉は、後世にお金を残すより事業を発展させること、事業を発展させることより優秀な人材を育てることこそが最も尊いことであるという意味です。人材こそ最も大切であるという自然の摂理を表す言葉で納得してしまいます。
私の若かりし頃は、良き師に恵まれ、自分のスキルを上げていくことしか考えられませんでした。管理する側になって初めて、売り上げ、業績、スタッフのことを考え始め、5年前の師の急逝が考え方の転機になりました。師の代わりにという思いで、学んだ技術を継承、発展させるため県外や国外に赴き、後進の指導に力を入れてきました。そして本年、教育を目的とする非営利団体の中で私の取り組みを広める機会を得ました。ここでは、『人を遺すのが上である』という言葉をKey
wordに専門領域の指導に当たります。
社会医療法人仁生会でいうと、仁生会の経営状態を上向かすのが下、仁生会を継続して次世代に残すのが中、仁生会を発展させていく人材を育てるのが上といったところでしょうか。どれもすべて重要ですが、やはり何よりも人材が一番大切だと感じます。目まぐるしく変わっていく医療業界の中で、常に患者さんや職員の皆さんのニーズを正しく捉えながら変化を起こしていくのは、お金でも組織でもなく人だからです。
皆さんは、この後藤新平の言葉にどのような思いを持つでしょう。立場によって捉え方は千差万別ですが、今一度、『人を育てる』、『人を残す』ことについて考えてみませんか。
(狗巻棘)
故郷、高知の未来(№367)
昭和30年代に誕生した赤ちゃんは、全国で年間約270万人以上もいたのに、一昨年は、わずか86万人に激減している。わが愛する高知県の人口も、昨年、69万人台にまで落ち込んだ。最大時は84万人程の人口を誇った昔もあったのに・・・。今の県都の高知市は、それでも人口30万人を保っている。高知市の隣の南国市、いの町、土佐市を合わせると約39万人、県人口の約60%の県民が高知市周辺で生活している。しかし、一昨年、高知県内で生まれた赤ちゃんは5千人未満であり、70年ほど前と比べると5分の1以下である。反対に、年間死亡数と転出転入者を差し引くと、毎年8千人程の人口自然減少が続いている。平均寿命は、40歳代、50歳代の死亡率が全国平均よりも高いのが問題だった。70歳代、80歳代、90歳代とだんだん寿命が延びて、100歳以上は全国2位である。
厚生労働省、経済産業省、総務省の統計データをまとめて一冊の本にした、河合雅司の「未来の地図帳」によると、2045年、今から25年後には、高知県民はわずか49万人台まで減少して、全国最少の県になる。しかし、高知市周辺の人口は減少しない。高知市と周辺に39万人、残りの広大な高知県内にわずか10万人余りが生活する事態となる。人口が少ないと、公共施設が減少し、暮らしにくくなるといわれている。全国的にも、大都市や各県の県庁所在地周辺に人口が集まるようになり、都市への一極集中が顕著になるようだ。
今、高知市のマンションの新築は完売だそうだ。地方に住む高齢者が、いざというときに移り住むためらしい。子どもたちは、故郷、高知へ帰りたがらないし、一人暮らしになったときにコンビニやスーパー、病院、市役所や県庁に近い、老後の生活に便利な場所で、老後を過ごしたいと考えられているようだ。25年後の高知で生活される皆さんには、ぜひともよくお考えになっていただきたい。
(アラジンのランプ)
信じる?・信じない?(№366)
紅葉の時期、京都の東福寺を訪ねたことがあります。臨済宗東福寺派大本山の東福寺は、鎌倉時代の建長7年(1255年)に完成し、禅寺の日本最古である「三門」、日本最大の「禅堂」、そして東福寺三名橋「偃月橋」「臥雲橋」「通天橋」など、国宝や重要文化財に指定されています。「東福寺の七不思議伝」も興味深く、紅葉以外でも見どころ多きお寺です。
その日は、運よく住職さんから直接お話を聞くことができました。皆さんは知っていましたか?「干支の1年の始まりは1月1日ではないこと」「お寺には干支があり、自分の干支が祭られているお寺を先にお参りしないとご利益がないこと」「お参りの際に頼みごとをする時は、必ず自分の住所氏名を名乗ってからすること(仏神様にはどこの誰かわからないからだそうです)」「暦注の六曜は、何の根拠もないこと」、私は全くの無知でした。私はどちらかというと、仏神を信じるタイプではなかったのですが、歳でしょうかね?!
最近気になりだしました。特に自分が死んだらどうなるのだろうかと? 時々考えるようになりました。真実は誰も知らない世界だから、ここは仏教に教わるしかないですね。
では、仏教でいうあの世(死後)とはどんな世界でしょうか? 生ある者は必ず死に帰すといわれるように、死は100%確実な未来です。死んだら「冥土の旅」ともいわれる「死出の旅」へ出発して、約800里の遠い道のりを独り寂しく歩いて、やがて見えてくる三途の川を渡らなければなりません。生前の罪の重さで、橋を渡れる人、そして歩いて渡らなければならない人に分かれ、渡し賃の六文(今は600円?)を払うと船に乗せてもらえるかもしれないけど、お金を持って死ぬ人は珍しいから、ほとんどは歩いて渡ることを覚悟しないといけない。私は、お棺に600円(いや、値上がりするかもしれないので、1,000円位かな)入れてもらうよう、今から子どもに伝えておきたい。
あの世は、浄土と地獄があり、生前に1匹でも生き物を殺したことがあると地獄行きになります。それを審判するのが閻魔大王法廷、そこにある浄瑠璃の鏡で生前の行いが全部映し出されて、殺生罪となり地獄行きになります。また、親の大恩は山より高く海より深いとされ、親よりも先に死んだ子は、大恩ある親を悲しませたということで、地獄の奈落に落とされるのです。今からどう頑張っても極楽浄土には行けそうにもありません。「ああ、健康で長生きしたい!」
「あなたは信じる?・信じない?」
(benefaction)
コロナ禍の日常(№365)
令和3年1月7日、首都圏の1都3県に2度目の緊急事態宣言が発令されました。新型コロナウイルス感染症患者の増加に伴い、中等症、重症の患者の治療を担う医療従事者への負担、そして病床数の逼迫が大きな要因です。昨年4月の1度目の全都道府県への緊急事態宣言で、患者数が減少している時に、医療従事者および病床の確保対策を、国、県、医療従事者それぞれの立場でもう少し突っ込んだ話し合いをして具体策をとっていれば、医療崩壊の危機が起こるような状況は阻止できていたかもしれません。
高知県も含めて医療崩壊の危機については、諸先生方がいろいろ対策を述べられているので、ここでは新型コロナウイルス感染症について現在までにわかっている基本的なことをおさらいします。発症から1週間程度は発熱や咳などの風邪症状が続き、そのまま治っていく患者が全体の80%程度とされます。味覚、嗅覚障害を伴っている場合もあります。20%の人は呼吸困難や咳などで、肺炎症状が悪化し、中等症、重症患者として入院対象になります。高齢者や糖尿病、高血圧、慢性腎臓病などの基礎疾患のある人、肥満の人、喫煙歴のある人、悪性腫瘍のある人、妊婦などが重症化しやすいといわれています。このため、感染しても80%の人が無症状か、もしくは風邪症状で治ってしまうため、「新型コロナウイルス感染症は季節性のインフルエンザよりもたいしたことない」という人もいます。しかし、基礎疾患のない若者でも急速に悪化することがあります。潜伏期間が長く、発症の2日前から感染源になる可能性があり、発症してウイルスを排出していても無症状のことが多いなど、インフルエンザ以上に厄介です。
新型コロナウイルス感染症の合併症で、致死率との関連性が高いものに、肺塞栓症や脳梗塞などの血栓塞栓症があります。重症例において、特に血栓塞栓症との併発が多くみられます。治ったと思った後も、後遺症によってその後の生活にまで支障を来すことがあります。重症者だけではありません。若い世代でも、倦怠感や呼吸苦の症状のほか、関節痛、味覚・嗅覚障害、めまい、聴覚障害、なかには脱毛などの報告もあります。
インフルエンザでのタミフルやイナビルのように、感染があったらすぐ投与すれば治るような特効薬はありません。今のところ飛沫感染や接触感染の予防には、手洗い、手指消毒を徹底し、マスク着用が有効です。ワクチンができ、治療薬が揃うまでは、3密を避け、会食を控え、個人個人が自分の行動を律するという「新しい生活様式」を継続するしかなさそうです。
(めだかの里)
ヘルスリテラシー(№364)
師走の恒例行事「今年の漢字」、今年はぜひとも”冠(コロナ)”を推したい。
昨年12月、中国で発生した新型コロナウイルスの流行は、瞬く間に拡大してパンデミック(世界的大流行)となり、多くの国々で健康、社会、経済に甚大な影響を及ぼしています。感染が拡大し始めた当初は、この新興感染症がどういうものか分からず、日本でも大変な不安と混乱に陥りました。マスコミは連日取り上げ報道が過熱、ネットやソーシャルメディア(SNS)では、科学的根拠のない予防法や偽情報を含むさまざま情報が飛び交いました。8月、「うがい薬でうがいをすれば感染を防げる」報道に日本医師会はヘルスリテラシーの重要性を指摘、「国民の皆さんは、世に出された情報に飛びつくのではなく、一度立ち止まって冷静に情報を吟味してから次の行動に移って欲しい」と報道関係者と国民に冷静な対応を呼びかけました。
この「ヘルスリテラシー」という言葉、わが国が長寿時代を迎えて健康への関心が高まる中、2015年に厚生労働省が発表した「保健医療2035」に初めて登場しました。その意味するところは、日本医師会のお叱りのとおり。正しい健康情報を選び取り、意志決定をして、自らの健康を維持、向上させる能力をいいます。コロナ禍の今、自らを守るために必要な健康力ともいえます。
12月、日本列島はコロナ第3波の猛威に見舞われ、高知でも患者が急増しています。新聞やテレビは医療提供体制の危機を伝え、国民一人ひとりが日々の情報に注視し、節度ある行動をとるよう訴えています。やっと、英国で新型コロナウイルス感染症のワクチン接種が始まりましたが、私たちが恩恵を受けるのはもう少し先の話。今できる唯一の感染抑止策は、以前から言われている「マスク着用」や「3密対策」などを取り入れた「新しい生活様式」の徹底であることに変わりはありません。それにしても、新型コロナの治療に一つ明かりが点ったことは本当に嬉しい限りです。
来年は丑年、もーもーもーっといい年が来ますように、心よりお祈り申し上げます。
(12月10日現在の新型コロナウイルス感染者数 世界6,935万人、日本17万2337人、高知県301人)
(豆助)
マイ将棋ブーム(№363)
3月以降はコロナ自粛で、休日も自宅で過ごすことがほとんどであった。鬱々とした生活が続く中で楽しみをもらったのは、藤井聡太棋士の活躍だった。自分は元々将棋ファンではない。小学生時にルールを覚えたが、せいぜい暇なときに友達と将棋を指す程度であった。その程度の素人であるが、高校生棋士の物凄い快進撃に驚き、痛快であった。藤井聡太がちょっとだけ息子に似ていることもあったかもしれない(笑)。
ネットTVの将棋チャンネルで棋戦をみたが、AIの形勢評価が取り入れられている。次の予想手が5、6手ほど示される。どの手を指すかによって形勢評価がどれだけ下がるかも併記されている。最善手以外を選択したら90対10が10対90に一手で逆転されることがある。どう指すのか一手一手に緊張感を味わえ、綱渡りのように最善手を連続して指し続けるプロ棋士の凄さを思い知った。
将棋関連のネット記事も読んだ。その棋戦の評価、AI超えといわれる驚きの一手の解説、さらには棋士のひととなりに迫るものなどであった。
将棋の雑学におもしろいものがあった。将棋に詳しい方ならご存じかもしれない。最高級の将棋盤の目盛りは、太刀盛りと言って、日本刀を使って目盛りを作るそうである。刃を丸めた日本刀の刃に漆を付けて斬るようにして漆を盛り付けていく。高度な熟練した技術を必要とされる。
高級将棋盤は脚がついている美しい形をしているが、これは梔子(クチナシ)の実をかたどって彫られている。対局中は他言無用、口を出すなとの戒めを「口無し」に掛けたものだ。
脚付き将棋盤をひっくり返して裏側を見ると中央部にへこみがある。これは駒を盤に打ち付けたときに音が良くなるようにするためで、「音受け」と呼ばれる。別名「血溜まり」とも言い、対局中に口出しした第三者の首をはねて、盤を逆さにして首をそこにさらしたという逸話に由来しているという。
インターネットで容易に情報が目に入ってくる。にわか将棋ファンのでき上がりである。
(観る将)
神無月に思うこと(№362)
暦の上で10月は「神無月」です。古典の語義では、「神無月」=「神の月」という意味だそうです。ご存じのように、全国の八百万(やおよろず)の神々が、年に1回この時期に「神議(かむはかり)」なるものを催すため出雲に集合します。他の地域では神様が留守になるので「神無月」、出雲では神様がいるので「神在月」というのは民間俗説とのことです。
例年、出雲大社では、神様を「お迎え」して、「神議を補佐」し、「お見送り」をするという「神迎祭」「神在祭」「神等去出(からさで)祭」の行事が行われます。今年の予定を調べると「11月24日~12月1日」となっています。11月?霜月?「神無月」「神在月」関係ないじゃん。どうなってんの?その訳は、出雲大社の古式ゆかしき行事はすべて旧暦で行われるからです。毎年旧暦の10月10日~17日に行われます。新暦でいうと11月になるのです。
どうしてこんなにも月日がズレたのでしょうか?その理由は、旧暦(太陰太陽暦)から新暦(グレゴリオ暦)への改暦に失敗したからです。明治5年12月2日が旧暦最後の日で、新暦では翌日を明治5年12月3日とすべきところを明治6年1月1日としてしまった。その結果、新暦では約1か月分前倒しとなりズレが生じたのです。さらに、旧暦明治5年12月3日「師走」を新暦明治6年1月1日「睦月」としたため、和風月名までもが1か月ズレることになったのです。とても迷惑な話ですね。和風月名は、古来より四季・花鳥風月を愛でる日本人の心をよく表しているのに、それがズレるというのはとても残念ですね。令和の我々は、江戸時代の人とは異なる四季を感じているのかもしれませんね。
ところで、八百万の神々はとても高貴な存在ですから、出雲訪問の仕方にも厳格な「しきたり」があるようです。神様たちは、出雲大社の西方1kmの「稲佐の浜」で神官たちに迎えられて、夜中に海から上陸し、徒歩で出雲大社「神楽殿」に集合します。その場で神官たちの奉仕を受けた後に「本殿」の東西に配置された「十九社」という宿舎に入るのです。そこに7日間寝泊まりをします。一方、「神議」は出雲大社西方950mに位置する出雲大社の摂社「上宮(かみのみや)」という小さな社で行います。議題は「人には予知できない人生諸般の諸事(縁結びや来年の収穫など)について」神議するとのことです。神様も人間臭い話をすることがあるのだと思うとちょっとおかしくて親近感が持てますね。
私は出雲大社へ4回詣でたことがあり、訪問のたびに新しい発見をしております。皆さんもぜひ、古事記の故郷・出雲に行ってみませんか?きっと古代が偲べる良き体験ができると思いますよ。ちなみに、「神在祭」の期間に訪問すると「神在餅(じんざいもち)」即ち発音が訛って、今でいう「ぜんざい」が振る舞われるそうですよ。
(古今)
新しい時代(№361)
新型コロナで世界中が閉塞状態になっている。結局、今回の騒動でも、アメリカが1人勝ちしそうな感じである。アメリカの持つ、新しい企業、新しい産業を起こす力のすごみであろう。相変わらず日本は、安全よりも安心を求め、新しい改革の動きは鈍い。
私の以前からの持論を述べれば、本来各界でリーダーシップをとるべき人々が医療界に入ってしまった。新しいパラダイム、新しいシステムを考える人材がほとんどいない。さらに、デフレ状態が長く続き、社会が活性化することを経験していない世代が決定的に増えてしまった。この世代は耐えることが当然と考えており、ある意味では当座の安定感はあるかもしれない。しかし、100年後、もう一度昭和と平成の時間が済んだころ、日本の人口は5千万人となり、国家としての体をなさなくなる。
同盟国がいつまでも同盟国であるということは、決してないというのが歴史の教えである。どこの国とどういう同盟を結んでいるか、ということも多分学校では教えていない。教えているとすれば、日本がひどいことをし、その結果として、日本人もひどい目にあった、日本の過去は誤りだらけでひたすら耐えて生活していくべきである、という教えである。少なくとも、太平洋戦争前、アジアで独立国であったのは日本とタイ国のみであった、ということが何を意味しているかは教えるべきであろう。
昔の若者は、貧しく、時には食うに困ることもあったから、もっと腹いっぱい食べたい、もっと豊かになりたいと思い、そのイライラや怨念が自分を変え、あるいは社会を変えようとする力になっていたと思う。それは、破壊的であっても、日本という国の周辺がほとんど平穏であったから、何の破綻もなく、希望がかなえられ、高度成長を現出した。
翻って、個人がそれぞれの希望を持ち、それぞれの行動を行っているという意味では、今の若者の方がより多彩ではある。しかし、今は日本という国の外側は、あれ狂う怒涛か断崖になっていることが決定的に異なる。
(アナクロ)
どちら様ですか?(№360)
昭和の話である。医学部卒業後母校に残った。中学、高校、大学の先輩が何人かいて、熱心に誘ってくださったのが大きかった。今と違って国家試験は3月で、合格発表は4月だったと記憶している。新入医局員は12名程だった。指導してくださる先輩医師1名に2~3名の新入医局員が割り当てられ、今でいうところの研修医生活が始まった。問診の仕方、理学所見の取り方など、学生実習でできていたつもりだったが、甘かった。6月頃になると先輩にくっついて入院患者を診るようになった。
ある日、70歳過ぎの老紳士が入院してきた。かかりつけ医から教授への紹介で、特室への入院だった。病名は胃潰瘍。出血しているわけでもなく、貧血があるわけでもなく、元気な様子だった。妻らしき女性がいつもそばにいて、優しく寄り添っていた。血液検査、尿検査、内視鏡検査、胸部レントゲン写真所見などを先輩医師とともに説明する際にも必ず同席して熱心に聞いていた。教授回診の際には上品な和服姿で、丁寧にお辞儀をしていた。教授も、お辞儀をしていた。時々見舞客が来ていたが、皆さん品のよさそうな方々だった。ある日、先輩医師と回診に行くと、見知らぬ女性が立っていた。老紳士の妻だった。そう、それまで付き添っていた女性は愛人だとわかった瞬間だった。先輩医師と小生はその愛人に老紳士の病状を事細かく説明していたことになった。妻曰く。主人が入院していたことを私は知らなかった。私に連絡が来なかったのはなぜか。夫の病状を他人(愛人)に話してもよいのか等々。妻が教授に面談を求め、病棟医長、先輩と共に教授室へ呼びつけられた。関西出身で温厚な教授は、笑みを浮かべて「これから気を付けや。ええ勉強になったやろ」。教授室を出た病棟医長、先輩と顔を見つめあってほっとした。それ以来、患者さん以外に同席者がいる場合、必ずかける言葉がある。『どちら様ですか?』。
(ウクレレ狸)
素人の、素人による、素人のための仏さま 第二章(№359)
久しぶりに仏さまのお話しです。今回は4つの階層に分けられる仏像のうち、如来、菩薩に次ぐランクの「明王」と「天」についてです。この2つは“悟り”を開いたかどうかで区別される如来と菩薩の世界とは一線を画しているように思われます。前に説明した仏像最高位の如来が「悟りを開いた人」で、信じるものを救う象徴のような存在のイメージ、次の位の菩薩が「悟りを目指して修行する人」で人々を救済したり悟りに至ることを手助けする存在とイメージするならば(各如来をサポートする2つの菩薩の組み合わせが決まっていることは既に述べました)、明王は仏の教えに従わない者を怒りの表情、姿をして煩悩を打ち砕き、悟りに導こうとするイメージ、最下層の天(天は空のことではなく神を意味する)は、仏教世界のガードマン的存在とイメージされます。明王・天ともに古代インドの神様を起源としていて(天は仏教へ再就職した神々との説明もみられる)、いずれにも座像と立像があります。
明王は、密教と関わりが深く、その成立過程でインドの神々が取り込まれて誕生したようで、明王の代表として、密教の最高仏である大日如来の化身とされる不動明王(お不動さん)があり、その他に愛染明王、孔雀明王、大元帥明王などがあります。孔雀明王は、明王の中で唯一如来や菩薩のように美しく優美な顔をしています。
天の神々は、仏教宇宙の須弥山(しゅみせん)という高い山の四方に住み、そこを守護しているとされる四天王(持国天・増長天・広目天・多聞天)や天部の王様として山頂に座す帝釈天や梵天(ぼんてん)の他、阿修羅、山門の両脇でにらみをきかしている仁王(=金剛力士)、鬼子母神、韋駄天(いだてん)、薬師如来を守護する十二神将、七福神に参加している大黒天(日本の大黒天は大国主命の姿)、弁財天(美や芸術、富を授ける)、毘沙門天(次の多聞天の別名、妻が吉祥天)などたくさんの仏が含まれます。なお、帝釈天や梵天は釈迦の修行中から付き添っており、奈良時代の如来像には両者が脇侍となっていることが多いとのこと。また、阿修羅は帝釈天に娘を強引に奪われており、帝釈天に何度も戦いを挑むも負け続け、今なお戦っているとされ、その凄惨な戦いが「修羅場」の名称の由来です。これら仏像の表情には明王のような共通の特徴がなく、多種多彩な表情をもっています。天は仏教世界の単なるガードマンにとどまらず、“神様”としての存在に対して人々から安産や、商売繁盛、衣食住の充足など現世利益を期待されているようです。
これら仏像の中には、仏教がインドから中国を経て日本へ伝来する過程で本来の姿、性格から大きな変化を遂げているものも多くあります。このようにさまざまな仏像の名称、特徴を知ると、その一大“仏様ワールド”
に驚嘆してしまいます。
To be continued(次は仏教の歴史などについて)
(神仏習合)
新型コロナ、夏も感染力維持か? 第2波、第3波に警戒(№358)
新型コロナウイルスの感染拡大が収まり、緊急事態宣言が全面解除されました。ただ、医療の専門家は、ほとんどの人がウイルスへの免疫を持っていない現状では、今後「第2波」「第3波」が来る可能性が高いとみて警戒しています。
東京など大都市の新規感染者は、減りはしたものの残っています。感染報告ゼロの日が続いて一足先に宣言が解除された地域も、水面下で感染が続いている恐れがあります。
政府諮問委員会のメンバーの1人は、人と人の接触制限が緩めばすぐに拡大に転じる可能性があると分析し、「感染者数が増えるのが6月なのか、7月になるのかは分からない」と語っています。感染が医療機関や介護施設に広がれば、短期間に多くの患者が見つかって医療提供体制がひっぱくする事態につながるでしょう。
新型コロナウイルスには、夏に感染力が弱まり冬に強まる「季節性」があるとの見方も存在します。しかし、米科学誌サイエンス5月号に、ほとんどの人が免疫を持たない状態では、季節による影響はあるとしても弱く、ウイルスは急拡大するとの論文が掲載されました。諮問委のメンバーは「夏にリスクが下がるとは思っていない」と話しています。
大橋順・東京大准教授も、季節性は強くなさそうだと指摘しています。「夏にいったん収束する可能性もあるが、その場合でも海外からの感染者の入国などをきっかけに、冬に再流行する恐れが大きい」と分析しています。
大橋准教授によると、流行規模を抑える対策を取る限り、人口の6割が感染して集団免疫が成立するまで10年かかる可能性があるそうです。有力なワクチンの開発にも時間を要しそうです。それまでは対策を緩めたり厳しくしたりを繰り返す生活を続ける必要がありそうです。
(makonda)
板垣退助と世界遺産(№357)
板垣退助といえば「板垣死すとも自由は死せず」というあまりにも有名な言葉をすぐ連想し、自由民権運動を先導した人物ということで、現在の時代感覚でいうと何となく弁舌に長けた口先先行の文民政治家との印象を抱いていました。そういう認識が一変したのはかつて東北に旅した時に会津若松市に立ち寄り、野口英世記念館に次いで鶴ヶ城の博物館を見学した時でした。戊辰戦争における白虎隊に関する説明には、当時の官軍東山道方面軍の総督府参謀が土佐藩板垣退助とあり、会津城攻略のための進軍経路の中で、城の背後に位置し最も手薄な飯盛山付近の侵入口に目をつけて集中攻撃をかけ市街戦に持ち込んで城を攻略したとされています。それが結果的に白虎隊の悲劇につながったわけですから、高知県人は会津ではよく思われていないのではと危惧しましたが、やはり彼の真骨頂は戊辰戦争で見られたような侍の気概と戦略眼に特徴づけられる武士としての面目にあったように思われます。
一昨年修復成った陽明門を見に訪れた日光東照宮の近くにも若い頃の洋装の板垣退助の銅像があり、彼の地でも崇敬の的になっていることを知りました。官軍司令官であった彼が、日光東照宮に立てこもった大鳥圭介(医師でもあった)率いる幕府軍に対して由緒ある社殿を戦いで破壊するに忍びないので、山を下りて決戦するよう説得したと伝えられます。幕府軍もこれに応じたために、日光東照宮は戦禍を免れ、彰義隊の戦い(上野戦争)で多くの伽藍を焼失した寛永寺とは対照的に、日本人のみならず海外からの観光客でにぎわう世界遺産となって今日にいたっており、感慨を新たにしました。
(一旅人)
オーディオの楽しみ「音は脳で聞く」(№356)
音楽を聴くといえば、今どきはスマホからイヤホンで聞くということかもしれません。音源がレコードからCD、さらにハイレゾになっても、昭和世代の音楽愛好家は大型のスピーカーから大きな音で聴きたいという方も多いと思います。趣味のオーディオの目的は「良い音」で音楽を聴くことです。「良い音」とは「原音をいかに忠実に再生する」ことか、忠実度よりむしろ「聞き心地の良い再生音」なのかは論争が尽きないところです。
私もオーディオを手頃なシステムで楽しんでいる一人です。雑誌やウエブサイトの記事などを見るのが楽しみで、スピーカーケーブルや電源タップ、壁コンセント等を交換したり、果てにはボタンのようなものを壁やプレーヤーに貼ったり、ケーブルにベルトを巻き付けたり、他人が見ればおかしなことをして、「高音の伸びが良くなった」、「低温の響きが良くなった」、「変わらん?」等と楽しんでおります。
最近「オーディオの科学」というサイトに行き当たりました。開設者はご高齢ですが元大学教官で、専門は材料工学、磁性物理学。オーディオに関する疑問を多方面にわたって科学的に検討されています。「音は脳で聞く」という欄で、F.E.ブルーム著「脳の探検」によれば、耳に入った音は鼓膜を振動させ、その振動が内耳の蝸牛に伝わり、最終的には側頭葉にある聴覚皮質で音とした認識される。ただこの時、音の信号は、色々なパスや中継点に分かれて伝わり、視覚情報や過去の音の記録、言語野、知識野などにある情報と相互作用しながら聴覚皮質で統合され、音のイメージの形成や言語の認識が行われるそうです。オーディオシステムの良し悪しを議論する場合、普通はその物理的、電気的特性を問題にしますが、本当は、耳に入った音をそのまま聞いているわけでなく、ほかの情報、過去の経験などと照らし合わせるなどの脳内処理を経た後、最終的に音として認識されます。実際、「こんな良い音だった?」、「なんか音がこもっている?」など同じ装置で再生しているのに日によってかなり印象が違う時があります。
かのジュリアス・シーザーの格言に「人は自分の見たいものしか見ない」というのがあります。目や耳から入る情報の全てが見えてる(聞こえる)わけではなく、自分に都合の良い状況、あるいはその人の経験や知識と論理的整合の取れた情報しか見ない(聞かない)という格言です。オーディオに限らず、シーザーの言うように人間の世界には「自分の見たいものしか見ない」ということは日常茶飯事にあるのではないでしょうか。
(だだんだん)
映画を通して感じられるイランの人びと(№355)
皆さんはイランという国にどんなイメージをお持ちだろうか?
私が、現代イランの普通の人々の生き方に触れた、と感じたのは、4年ほど前に観た「別離」という映画であった。2011年製作のこの映画は、ベルリン国際映画祭の最高賞である金熊賞と、全編ペルシャ語の映画としてその年の米国アカデミー賞外国語映画賞をダブル受賞した、ということで興味を持ったのだが、ドラマはテヘラン市内に住むインテリ層の一家が舞台で、年頃になった娘を欧米に留学させたい妻と、アルツハイマー認知症の父親の介護を心配する夫、そしてこの父親の世話に雇われたヘルパーの娘という、日本社会と変わらないその状況が、私にとっては意外、かつ新鮮であった。
私が次に出会ったのが、先年亡くなったアッバス・キアロスタミ監督の映画「友だちのうちはどこ?」(1987年)である。主人公は、間違ってクラスメートの宿題用ノートを持ち帰ってしまった小学生。「宿題を忘れた者は退学になる」と先生に聞かされていた彼は、ノートを返そうと、行ったことのない友だちの家を探しに出かけるが…。国境を越えて“人間”は同じと感じさせるこの映画は2005年、英国映画協会が選んだ「14歳までに見ておきたい50の映画」の5位にランクインしている。
アカデミー賞の外国語映画賞を受賞しているもうひとつのイラン映画が「セールスマン」(2016)である。アーサー・ミラーの戯曲「セールスマンの死」の舞台に出演中の素人演劇人の夫婦。ある日、引っ越ししたばかりの自宅で、夫の留守中に妻が何者かに襲われ、ふたりの穏やかだった生活は一変する。事件を表沙汰にしたくないと警察への通報を拒否する妻に納得できない夫は、自分自身で決着をつけるべくひそかに犯人捜しを続ける。演劇と犯人探し、夫婦の感情のずれがスリリングに絡み合い、やがて物語は思わぬ展開に…。日本映画か、と思わせる丁寧なつくりで好感が持てる本作だが、主演のタラネ・アリドゥスティが来日インタビューで「自分は正しいから復讐(ふくしゅう)してもいい、という考えは、信じることのためにものが見えなくなっている。自分と同じく、人も幸せになる権利があると考えられない人がテロを起こす」
と述べている。イランを代表する女優として、国内で出演するドラマは国民の9割が見る、と言われるタラネ。こんな女優もいるんだと感じさせられた。
(J.F.)
パワハラ(怒る)と指導(叱る)の違い(№354)
本年6月からパワハラ防止法が施行されます。企業にパワハラを防止する法的義務が生じます。管理職は、パワハラの無い働きやすい職場環境を整備することが義務付けられます。
しかし、管理職が「パワハラを受けた」と指弾されることを恐れて必要な指導を躊躇してしまっては、組織運営や人材育成を妨げることになります。パワハラ(怒る)と指導(叱る)の違いについて、考えました。
「怒る」とは、自分の抑えきれない感情をそのまま相手にぶつける行為で、自分本位です。
「叱る」とは、相手の成長のために、改善すべきことを指摘する(人材育成)行為で、相手本位です。
「パワハラ」は、自分の思い通りにならない相手や状況に対して、攻撃的、否定的に「怒る」ことです。一方「指導」は、相手のために、理性的、肯定的に「叱る」ことです。自分の言動が感情に流されて「怒って」いるのか、理性的に「叱って」いるのか、常に意識して感情を制御することが、パワハラにならないポイントです。
また、「指導」をより効果的にするためには、相手が「指導」を受け入れやすくなるように、表現や状況などに配慮する必要があります。以下にポイントを列挙します。
①指導内容:組織運営や相手の成長に役立つものか。
⇒ 指導すべき事実について的確な改善策を伝える。
②状況:場所、周囲の人、相手の忙しさ、自分との関係性に配慮できているか。
⇒ 一対一での短時間の面談で伝える。
③表現方法:言葉、声の大きさ、表情、態度、目線など相手に与える影響に配慮できているか。
⇒ 理性的で丁寧な言葉で伝える。
④相手の理解度に対する配慮:指導内容を相手が理解できているか、配慮しながら言葉を選べているか。
⇒ 相手の人格を否定するような言動を発してしまうと、相手は「指導」とは受け止めない。
以上のパワハラ(怒る)と指導(叱る)の違いを理解して、自分の言動を振り返り、自信をもって組織運営、人材育成を行ってください。
(まつりの夜店)
四国一周JRの旅(№353)
10月の連休を利用して孫(小学1年の男の子)と、JRの途中下車自由の特急自由席が利用できる周遊券で1泊2日の四国一周をした。当日は快晴、高知発8時20分の南風で、いざ窪川駅を目指し、窪川駅発9時40分、宇和島駅着12時20分の予土線でホビートレイン(列車の前が新幹線を模して丸くなっている)に乗車した。予土線の列車では、その他に、しまんとトロッコ、海洋堂ホビートレインの予土線3兄弟がある。
沿線には、打井川駅から6㎞にある海洋堂ホビー館、土佐大正駅周辺には栗焼酎ダバダ火振を作っている無手無冠、細木病院の医師が毎週診察に行っている大正診療所がある。
車窓からは、四万十川が良く見え景色は良かったが、残念ながら列車の乗客は、観光客数人、地元の老人、学生等で1両編成でも空席が目立った。
JR四国は民営化以後、32年連続の赤字で、国が設けた経営安定基金の運用で赤字を埋めて運営されている。予土線は、100円の収入を得るために1,159円の費用がかかっているとの新聞報道があった。沿線人口の減少もあるので、観光列車の充実で外国からも観光客を誘致できる態勢ができることを願うばかりである。
宇和島駅からは、アンパンマン列車に乗って松山に向かった。宇和島では、ほずみ亭の鯛めしを食べたかったが、残念ながら日曜日は休みであった。松山では松山城に行く途中の物産館で水道蛇口から出るみかんジュースが珍しく、大勢の観光客が写真を取っていた。その後、道後温泉では改修工事の影響もあり、20分待ってやっと入ることができ、レトロな雰囲気を味わうことができた。
翌日は、特急石鎚で高松へ向かい、昼食にうどんを食べたが、本場のうどんはのど越しともちもち感が良かった。高松からは、特急うずしおで徳島へ向かい、徳島からは、特急つるぎで吉野川沿いに走っている徳島本線に初めて乗って池田経由で高知駅に到着し、あわただしくもあり、あっという間の楽しい列車の旅で、孫との距離が一段と近づいた。
皆さんも是非、ビールを飲みながらのJRの旅、行きませんか!
(お茶のみ)
思いやりの心を大切に♥(№352)
お仕事お疲れ様です。令和元年も早やページを捲ろうとしています。平成最後の年の初めに当たって皆様が心に誓ったことは、達成できましたか。来年こそはと、心新たにされているかもしれません。忙しい毎日だからこそ、お互いに思いやることが、仕事でも家庭でも必須ですね。
最近は、自然災害も想定外の大きさとなっています。私は助け合いの精神が、国民性として元々備わっているように感じていますし、報道でも感動させられています。世界では2025年までに水不足の影響を受ける人口の割合は1/2と推定されています。水不足、海面上昇、大気汚染と自然環境が崩れていっています。世界では空腹のまま眠りにつく人の数は8億人といわれています。1年間の自然災害も15%の増加率となっています。世界では、はしかで毎日245人が命を落としていますし、2分間に1人の割合で小児がんと診断される子供がいます。いじめの影響を受けている子供の割合は3人中に2人はいると報告されています。何ということでしょう。日本も含まれますので、よその国のことなどといっていられません。いじめは子供ばかりではありません。私たち大人がしっかりしなければと考えます。自分に何ができるのか、何をすればいいのか、身の回りの小さいことからでもご家族、ご友人の皆様で話し合って少しでも良い方向に舵が取れるといいなあと思います。
皆様にとって、来る年が希望に満ちた穏やかな令和2年となりますように、お祈り致します。
患者様のため、家族のため、世界の平和のために! 良き新年をお迎えください。
(ナズトラビ)
下手の横好き(№351)
皆さん!こんにちは。お山大好き人間の「与作」です。
さて、カエデやイチョウが赤や黄色に色づく季節となりましたが、今回は、秋の夜長に乗じて「下手の横好き」について・・・ナウ・レッツ・ビギンとまいりましょうか。
◎「下手の横好き」とは、趣味などを「下手なくせにいつまでも続けている」とか、「あまり上達もしないのに夢中になっている」という意味のことわざです。
◎由来と語源ですが、本来は、「本業(本筋)以外のことに熱心」という意味があります。しかし、現在では、「下手だけど好き」のように使われていますが、これは、あくまでも「本業以外の趣味」を指しているところがポイントのようです。
◎「横好き」の横(よこ)という漢字には、左右の方向を表す他に、「邪(よこしま)・不正」という意味があります。総じて、ものごとが「本筋を逸れる」ことを表わしているようです。
◎まとめとして、「下手の横好き」とは、もともと本業から横にそれたことがら(趣味など)を好むという意味であり、現在では、下手なのに熱中している人を揶揄する表現として使われています。然し、ここで注意すべきは、あくまでも「本業以外」というところです。例えば、料理の下手な主婦に対して、「下手の横好き」と云うことはありません。また、謙遜や自虐の言葉として使うことはあっても、下手な趣味を持つ他人に対しては使うべきものではありません。
◎蛇足 「下手の横好き」とは、ゴルフ歴50年余、いまだに下手を固めつつある「与作」の、「GOLFに対する情熱と取り組み実績」そのものであります。・・・できれば 来年あたり???「好きこそものの上手なれ」となりたいものです。
勇気を出して第一歩を踏み出そう!
曲がり角の先に
きっと良い事があることを信じて。
それでは、いつか又の機会に ヘイヘイホー
(与作)
十善戒の勧め(№350)
先日、京都のあるお寺に参拝したときのことである。参拝帰りに、リーフレットを頂戴し、帰りの電車の中で読んだ。それが「十善戒」である。私たちはいつも悩みや不安を抱いて生活している。それを少しでも取り除く、心を教えてくれている気がした。
①不殺生(ふせっしょう)
むやみに生き物を傷つけない。あらゆる生物を尊重しよう。
②不偸盗(ふちゅうとう)
盗まない。他人のものを尊重しよう。
③不邪淫(ふじゃいん)
男女の道を乱さない。お互いを尊敬し合おう。
④不妄語(ふもうご)
嘘をつかない。正直に話そう。
⑤不綺語(ふきご)
無意味なおしゃべりはしない。良く考えて話そう。
⑥不悪口(ふあっく)
粗暴な言葉を使わない。優しい言葉を使おう。
⑦不両舌(ふりょうぜつ)
中傷しない。思いやりのある言葉を話そう。
⑧不慳貧(ふけんどん)
ものに執着しない。惜しみなく施しをしよう。
⑨不瞋恚(ふしんに)
怒らない。にこやかに、暮らそう。
⑩不邪見(ふじゃけん)
間違った考え方をしない。正しく判断しよう。
私自身も、全て行動に移すことはとても不可能だなあと思ったが、一つでも、二つでも実行して、少しでも、これらの教えに近づく努力をすれば、不安や不満な心にならないのかなあと思った。幸せで充実した生活なんて、そんなに簡単には手に入らない。悩みや不安が、少しでも和らいだ生活が送れればいいなあと、いつも感じている。
反省はしても、後悔しない人生を送りたいなあ。
(アラジンのランプ)
チコちゃんに叱られたい!(№349)
皆さんは、NHK総合テレビの「チコちゃんに叱られる」をご覧になっていますか?
私は、この番組が大好きです。永遠の5歳チコちゃんが、普段は全く疑問に思っていない、それでいて極めて素朴な疑問にズバッと答える。
“ えぇ~、本当に~”
“なるほど~ ”
“ チョー、スッキリした~”
その爽快感が、たまりません。今回は、私が思わず膝を叩いてしまった選りすぐりの回答を、チコちゃんに成り代わりお届けします。
【Q1】なぜ男と女がいるの?
男は、女にとっての保険だから~。
⇒地球最古の生命(微生物)が生まれたのは、およそ38億年前。性別は全てメスで、分裂することで世代交代していた。このメスがメスを産む仕組みは何と20億年近く続く。ところが、その頃、地球では気温がダイナミックに変化したり、酸素濃度が急上昇したりと、環境が激変する。こうした中、環境変化に対応できない生き物たちは絶滅の危機にさらされる。同じ生き物の中に、色々な体質を持った個体がいないと、その種は生き残れない。そこで、メスが生み出したのがオスである。オスは、体内に母親のメス遺伝子を持ったまま、他のメスと出会い子供を作る。この時、母親が受け継いできたメスの遺伝子と、父親が運んできたメスの遺伝子が混ざり、子供は、祖先とは違う遺伝子を持った個体となる。つまり、メスはオスを遺伝子の運び屋として使い、バラエティ豊かな性質を持った子孫を作る仕組みを作り出していったのである。ヒトの受精卵でも、最初は女性として成長を初め、受精7週目から男性となる胎児の体内でコルチコステロンというホルモンの命令で男性ホンモンが大量放出され、男性に作り替えられていく。うぅ~、オスは、メスの子孫繁栄のための保険だった。
【Q2】桜が同じタイミングで咲くのは、何故?
1本の木から分身した同じ木だから~。
⇒日本で最も代表的な桜「ソメイヨシノ」は、最初の1本から分身をどんどん増やしていって、全国に広がった。つまり、日本全国の「ソメイヨシノ」は、全て同じ遺伝子を持つクローンなので、同じタイミングで咲く。江戸時代、成長が早い「オオシマザクラ」と丈夫で長生きな「エドヒガン」が交配され、その中で、極めて花が美しい奇跡の桜が出現した。それが「ソメイヨシノ」である。それがあまりにも美しかったため、どうにか後世に残そうと、接ぎ木され、全国に広まっていった。今では、百万本以上の「ソメイヨシノ」が植えられているという。
“ ふ~ん、なるほど”
“ へぇ~、そうなんだ~”
世の中は、不思議に溢れている。
ボーっと、生きている場合ではない。
常日頃、ボーと生きている自分としては、一度、チコちゃんに、思いっきり叱られた~い!
※参考文献 NHK「チコちゃんに叱られる!」制作班(編)
(哀愁ボーイ)
昭和20年8月15日の追憶から令和に(№348)
第2次世界大戦の終結は、私が10歳の夏のこと。母から日本が無条件降伏したことを半信半疑で兄と一緒に聞きました。その後、夜、電気がついて、その明るさに驚き、安らいだ気持ちになったことを思いだす。それまでは、電燈の傘に黒い布をかぶせ、光が外にもれないようにし、いつも薄暗い家の中で過ごしていました。また、戦時中、流行歌は軟弱な歌とされ、非国民と言われていました。そのため、歌うのは決まって軍歌でした。ラジオで「リンゴの唄」が流れるのを聴いたときには、「戦争は終わったのだ」と実感したものでした。食べ物は終戦後も食糧難が続きましたが、数年たつと、正月や神祭には銀飯、寿司、餅なども食べることができるようになり、この日が待ち遠しくなりました。私は、父の仕事の関係で、生糸会社の社宅に住んでいたことがあります。女工さんがたくさんいて、ある時、女工さんの食事を見たことがあります。丸麦とさつま芋の入ったご飯で、米粒は見あたらず、薄いみそ汁の中に白菜の入ったおかずでした。それでも「欲しがりません、勝つまでは」の合言葉で繭の糸を取っていました。
沖縄がアメリカに占領され、いよいよ本土決戦、一億総玉砕が叫ばれていた頃、アメリカ、イギリス、中国の3か国の首脳が戦争の終結を日本にすすめるため、「ポツダム宣言」を提示するようにしていたのです。昭和20年7月26日、宣言を日本政府に提示されたが、日本政府は「宣言を黙殺する」と発表。8月6日広島に、9日長崎に原爆が投下され、その間8日にソ連が対日宣戦布告。日本は宣言を受諾し、15日には昭和天皇の「玉音放送」が日本の敗戦を伝え、第2次世界大戦は終結したのです。
混乱時期を経て、日本は民主国家として驚異的な復興をし、「昭和」から「平成」そして「令和」と元号が変わり、74年の間、戦争のない平和が続いています。しかし、この年月は、戦争の恐ろしさを風化させてしまいつつあることは否めません。昨今の諸々問題となった言動や行動からもうかがい知ることができるでしょう。中心となって日本を担っている方たちのほとんどが戦後生まれとなった今、平和について、そして戦争の恐ろしさを正しく知ることからかけ離れつつある現実を危惧せずにはいられません。
令和は、「よいこと、おだやか」という意味の元号です。世界が戦争や災害のない平和な日々であることを心から願います。
それでは皆さん だんだんよ
(福井の隠居)
私とテニス(№347)
「君はいったいこの大学に何しに来たんだ?」
クリーム色の殺風景な壁に、ぎっしりと本が詰まった本棚に囲まれた部屋で、倉谷学部長は私に聞いた。いつもの通り、彼は背広にネクタイというフォーマルな服装であった。それに対し、当時かなり能天気で礼儀作法も知らなかった私は、ジャージ姿でその言葉を聞いていた。そして私は答えた。「はあ、テニスがうまくなりたくて来ました」。少し間をおいて、「そうか、それならもういい。行きなさい」と先生はおっしゃった。私は、その時の倉谷先生の気持ちに気づくこともなく、単純に「分かってくれたんだ」と思い部屋を出た。
これは、1980年5月、私が大学3年生のときの話である。私はその年、初めて全国大会に出られることとなり、毎日練習に明け暮れていた。ところが、大会の時期が1学期の試験と完全に重なるという大問題に気がついた。これはいけないと思った私は、自分が受講していた講義を持つすべての先生に、試験を追試かレポートにしてくれるようお願いして回った。その活動を始めたある日のこと、掲示板に学部長から私へ呼び出しの張り紙があり、冒頭のやり取りとなった。結局、その時受講していた講義の半分以上の成績が「D」(不可の意味。1回これがつくとその年にその科目の単位は取れない)となり、私は危うく大学から除籍(退学とは異なり、大学にいた記録も抹消される)されそうになった。
中学1年からテニスを始め、約50年経った今でもテニスを続けている。試合にも時々出ている。そして最近では、試合だけでは飽き足らず、母校の試合も頼まれてもいないのに見に行くようになった。息子にもよく「飽きないの?」と言われるのだが「飽きない」のだ。大昔に、自分でも何故続けるのか考えたことがあるのだが、多分これは治らない病気にかかったのだと思っている。
私は社会人になって「生きるための技術」を仕事から得たが、「生きる上での哲学」はそのほとんどをテニスから学んだ、と思う。
ちなみに冒頭のやり取り、そしてそれに続いて自分に起こったことから得た教訓は、「なにかに熱中すると、他の何かを捨てることになる」である。
(積善会社長)
喫煙者は不採用になる時代がきています!(№346)
受動喫煙対策を徹底する改正健康増進法が昨年7月に成立しました。これにより国や都道府県などが、受動喫煙防止の周知、啓発をはじめ、今年の7月1日から学校や病院、行政機関などの敷地内が全面禁煙になります。厚生労働省の基本的な考え方は、受動喫煙による健康被害が大きい子供、患者などに特に配慮した、「望まない受動喫煙」をなくすというものです。
「望まない受動喫煙」をなくすだけでは手ぬるいと考えた大学が現れました。これからの内容はネット記事からの引用です。長崎大学は、禁煙対策の強化として、教職員の就業時間内の喫煙を禁止すると共に、今後の新規採用にあたり喫煙者を採用しない方針を示しました。教職員がタバコを吸って自分の健康を害するだけでなく、学生はやはり教員の背中を見ていて、教育の場としては、喫煙者は相応しくないと結論付けました。こうした基準を設置するのは、国立大学としては全国初の試みだそうです。この方針にはやはり賛否両論が沸き起こりました。「差別だ。人権侵害だ」という批判の声が上がる一方、「タバコは嗜好ではなく依存症を引き起こす」、「医療従事者を養成する大学として当然」という賛同の声も寄せられました。
「タバコを吸う、吸わないは個人の嗜好であり、大学が踏み込む問題ではない」という反論に対して憲法の立場からある弁護士が語っていました。「喫煙権」は人権なのか。受動喫煙の問題と同時に、タバコを吸った後も30~45分間は喫煙者の息から有害物質が吐き出されることや、服やカーテンなどに残ったタバコ残留物から有害物質を吸い込んでしまう「三次喫煙」の問題も指摘されています。それが原因で喘息発作を起こす人もいます。この点が「単なる嗜好の問題」とは言えないところの難しさです。大学には未成年の学生もいます。大学側には全ての方に健康なキャンパスライフを保障する責任があるわけです。その責任からすると、喫煙者を採用しないことで憲法違反の判決は出にくいように思うと指摘しています。さらに、個人的には、喫煙権の問題は、人権そのものというよりも、個人的な嗜好であり、個人生活上の利益として存在している。喫煙者を採用しないという問題も、大学の裁量権の問題であり、裁量権の逸脱や濫用がなければ違法にならないのではとまとめています。
5月31日は「世界禁煙デー」でした。WHOが世界の人々の健康のために禁煙を推進するために設けた日だそうです。何はともあれ喫煙者を取り巻く環境は厳しくなっているのは間違いない。喫煙者のなかでも特に、小さなお子さんがいる親御さんはこの際禁煙してみてはいかがですか。
(めだかの里)
「令和」幕開け(№345)
5月1日、新しい天皇陛下が即位され、令和の時代が始まりました。
ついこの間、「平成」になったと思ったのに、あれから31年。皆さんも、「令和」「平成」と、二つ、あるいは「昭和」と三つ、ひょっとしたら「大正」と四つの時代を生きることになるわけで。
近代以降の改元は天皇の崩御とほぼ同じで、平成改元の重苦しい雰囲気はいまでも目に浮かびます。しかし、今回は譲位というご存命のままの代替わりであること、先立って公表された新元号「令和」が国民に思いのほか早く受け入れられたこと、前代未聞の10連休となったゴールデンウイーク中の御代替わりとあって、改元という時代の節目に向け祝賀ムードで大いに盛り上がりを見せました。
1日、平成時代は大災害や不況、社会の分断が目立ったため、改元ですべてをリセットして大きく変えて欲しいという期待から新時代の訪れを喜ぶ華やかなムードに日本中が包まれました。
7日、令和初の東京株式市場、「ご祝儀相場」はならず関係者にはがっかりでした。そして、あのお祭り騒ぎのような熱気はどこへ、と思うほど街は落ち着きを取り戻しました。
さて、この国の将来にはどんなことが待ち受けているのでしょうか。少子高齢化一つとっても抜き差しならない問題を孕んでいます。2025年問題然り、2040年問題然り。私のような団塊世代には辛い世の中になりそうです。昭和や平成に育った次代を担う若者たちが新時代を切り開き、輝かしい未来をつくり上げてくれることを願わずにはいられません。
「令和」は一人ひとりが明日への希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができる。そうした日本でありたいとの願いが込められています。手話では「蕾が花開く」という意味の手の形を、身体の前方に伸ばす動きで「令和」を表現します。「未来へ向けて花を咲かせる」との明るい展望を込めた表現だそうです。
皆さんそれぞれの思いのこもった蕾が大きく花開く時代になってほしいものですね。
(豆助)
蓋し名言!の2題は、いかが?(№344)
先日、シアトル・マリナーズのイチロー選手が現役引退を表明しましたが、「イチローが打った日は、お父さん、機嫌がいいね」と妻から揶揄される位のファンであった自分にとっては、一つの時代が終わったな、という想いです。そこで今回は彼に纏わる名言を一つ、ご紹介します。あれは彼が渡米してから6、7年目位ではなかったか、と思いますが、年間最多安打のメジャー記録も達成し、着々と実績を積み重ねていたイチローが、確か20打席くらいノーヒットが続いた後のエンゼルス戦で、突然、3安打かそこらのマルチヒットを打った時でした。試合後のインタビューで、イチローに打たれた感想を記者から聞かれたマイク・ソーシア監督が、こう答えました。
「君、世の中には決まってることというのがあるんだよ。人は死ぬ。イチローは打つ。」
私、唸りましたね。この記事、確かUSA Todayという米国の全国紙に載っていたと思うのですが、以降、しばらくはこの全国紙の記事に眼を通すのが楽しみでした。
もうひとつ。私はここ数年、旧い映画を、特に海外ものを観ているのですが、その中に「お熱いのがお好き」というのがありました。本作は2000年に全米映画協会が選ぶコメディー映画ベスト100で第1位に輝いた名作で、一般には主演のマリリン・モンローが有名ですが、実は、知る人ぞ知る、という最後のシーンがあるのです。その場面はこうです。
1920年代のシカゴ、食うに困った2人の芸人が女装して女性ばかりの劇団に紛れ込み、遠征に繰り出します。うちの一人、ジャック・レモンがマイアミのショウで、やもめ暮らしの大金持ちに一目ぼれされます。小柄な初老の大富豪から求婚されて、
レモン「ほんとのこと話すわ。私たち結婚できないの」 →大富豪「なぜだい?」
レモン「あたし、ほんとは金髪じゃないの」 →大富豪「気にしないよ」
レモン「あたしには醜い過去があるの」 →大富豪「許すよ」
レモン「あたし、子供を産めないの」 →大富豪「養子をとればいいさ」
レモン「わからない人ね。俺、男なんだよ」 →大富豪「Well, nobody's perfect.」
最後だけ英語にしましたが、これも「えっ」という感じ!忘れられない一言です。
(JF)
元号改正年に臨んで(№343)
はて?何をテーマにしようか?と悩んだ末、今年の10大ニュースにきっとなるに違いない「元号改正」にしようと決めた。
元号について調べてみますと、江戸時代までは、政変・天変地異・疫病などで社会秩序や人心が乱れた時、天皇が世を一新する希望を込めて元号を改正したという。飛鳥時代・大化の改新(645年)の「大化」が1番目で、現在の「平成」は247番目らしい。南北朝時代には、天皇家が両立して2つの元号が並立したので二重カウントになっている。(信じがたいが、中学時代に歴代天皇と元号をすべて暗誦できる博覧強記に出会った。彼には運動以外何事にも敵わなかった思い出がある。)
最も短い元号は、鎌倉時代の四条天皇治世の「暦仁(りゃくにん)」である。相次ぐ天災による元号改正で、わずか2ヶ月14日で終わった。このとき救済を祈願して鎌倉大仏も創建されたとか。元号最多改正記録保持者は室町時代の後花園天皇である。かなり政情が不安定だったのでしょう、治世36年間に9回元号改正している。彼の在位晩期には応仁の乱が勃発しております。一方、長期間の元号は1位「昭和」64年、2位「明治」45年、3位「応永」35年、4位「平成」31年である。最近の元号が長期であるのは、明治時代からは1天皇1元号とされたためですね。
興味深いことに元号にあやかって創建されたお寺が散見されます。延暦寺(788年創建)、仁和寺(888年)、建仁寺(1202年)、建長寺(1253年)、明徳寺(伊豆、1391年)、寛永寺(1625年)などなど。元号が異なれば違う寺名になっていたかも・・・。
私は、元号を挟んだ年数を計算するのが苦手で、全て西暦にすれば楽なのにと常日頃思っていたが、今回元号について調べてみて、元号が時代とともに生きてきたことを実感した。だから、元号をなくすのはもったいないな、あってもいいかなという気がしてきた。私にとって2度目となる今回の元号改正にはおまけがある。世間一般的には、空前絶後の10連休がもれなく付いてくるのだ。
さて、皆様は新元号・10連休のどちらを楽しみにしておられるのでしょうか?
(古今)
電子カルテの使い方(№342)
使わざるを得なくなったのでつらつらと負けおしみを言っておく。
まだ日本に数百台しか業務用コンピューターがないころ、会社の指示で、数ヶ月電子計算機の夜学に通って勉強した。その結果、まだ会社に導入するのは早いという結論を報告した。その時は、結局そのコンピューターシステムは、全国的に不評で面目を施した。
医療における電子カルテの出自は、基本的に、医事業務から発生した。それが、他の部門にも波及して、とうとう、医師や看護師のところに押し寄せてきた形である。基本的に、コンピューターシステムは精緻性(融通が利かない)を旨とする。その結果、曖昧な部分や判断を要する部分などは、すべて医師と看護師に押し付けるシステムである。これに対抗する手段として、マニュアルが存在するが、これが説明文にしか過ぎない。実はマニュアルとは3つの要素を持つべきものである。すなわち、①説明書、②フローチャート、③チェックリストである。日本のマニュアルたるものは、説明書にしか過ぎない。しかも電子カルテは医師や看護師の側から作っている訳ではない。今の電子カルテの決定的欠点は、3番目のチェック機能がないという点である。がん検査の結果の見落とし等、防止するのはシステム的にはごく簡単であるが、現在の電子カルテにはそれがない。最終的に医師がすべてのデータを見て、対応すべきであるという代物である。40人以上の入院患者の定期検査をすべて医師が診る。以前は紙媒体が目の前に届けられ、検査する人も、看護師も診てくれていた。これからは、医師は検査結果に関し、いつ出てくるかも管理しなければならない。看護師に見る義務はないわけであるから、もう助けてもらうわけにはいかない。といってソフトメーカーが悪いわけではない。ただ、全国の医師が一人当たり2万円も出してソフトを作ればいいだけの話であるのが悔しいところである。
文句を言って少しすっきりした。機械如きに負けるつもりはない。
(アナクロ)
リーダーシップ(№341)
平成最後の年が明けました。年末年始はそれぞれに過ごされたと思いますが、特に勤務だった方々には感謝の気持ちをお伝えしたいです。ありがとうございました。皆様のおかげで仁生会は機能を発揮し続けることができました。
さて、30年前は何をしていたのかと思い出しますと、昭和天皇崩御の報道に驚くことなく、割と冷静に報道番組を見ていた記憶がよみがえります。どの番組も同じような内容の繰り返しで、すぐに賞味期限が過ぎてゆきました。誰がリーダーシップを発揮して番組を作成しているのか全く伝わってきませんでした。
30年が経過した現時点でも同じような状況かと思いますが、我々の医療現場ではいかがでしょうか? そうリーダーシップです。
広辞苑では「指導者としての地位または任務。指導権。」「指導者としての資質・能力・力量。統率力。」と記載されています。つまり、リーダーシップは指導者に求められるものとして捉えられています。逆に言いますと、指導者でないものにリーダーシップを求めていなくて、極端に言えば指導者でないものにリーダーシップは不要だとも取ることができます。
本当にそうでしょうか? 私は違うと思います。
入職1年目であれ、20年目であれ、どのような職種、どのような役職であれ、すべての職員にリーダーシップは求められていると私は考えます。日常の業務のなかで気づいた疑問点、本当にそれでいいの?と不思議に思う心、こうすればもっとうまくできると思うと提案したい気持ち、それらがまさにリーダーシップではないでしょうか。すべての職員がこのような気持ちをもって、意識をもって、同じ向きを向いて進むことができれば、職場は進化し続けることができると思います。皆さんの気持ち、意識を的確に捉え、まとめ、そして現場にフィードバックするのはもちろん管理職のつとめです。皆さん、今年一年リーダーシップを持ってみませんか?
(ウクレレ狸)
素人の、素人による、素人のための仏さま 第一章(№340)
1年振りで仏様の話です。前回、仏様(像)の世界は4段階に分かれた階級社会で、高いランクから順に如来、菩薩、明王(みょうおう)、天となっていることを書きました。
最高位の如来は悟りを開いた者を意味し、全体的にはかなり質素な身なりをしているのが特徴で、大きくは釈迦如来、阿弥陀如来、大日如来、薬師如来があります(奈良→平安→鎌倉と時代の変遷が関わってきます)。釈迦如来は仏教の開祖であり実在したブッダ(ゴータマ・シッダールタ)のことで、基本となる仏様です。薬師如来は左手に薬壷を持ち東方(瑠璃光)浄土で人を救い、阿弥陀如来は西方(極楽)浄土で人を救うとされる。大日如来はほかの如来と異なり装身具を身に着け、きらびやかに着飾っています。密教の最高仏で、密教の世界観においてはすべての仏(釈迦如来も)は大日如来の化身であると解釈されています(素人にはなかなか理解しにくいところです)。
如来には助さん角さんのようなサポート役(脇侍 わきじ/きょうじ)がおり、階級が1つ下の菩薩が担います。その組み合わせは次の如くで、寺院ではセットで3体が並んで祀られていることがあります。
釈迦如来:文殊菩薩と普賢菩薩
薬師如来:日光菩薩と月光菩薩
阿弥陀如来:観音菩薩と勢至菩薩
菩薩は、悟りをひらくための仏道修行に励みながら、悩み苦しむ衆生(人々)を救おうと尽くす仏様とされていて(忙しそう!)、如来と比べて着飾ったり装飾品を身に着けていることが多いようです。有名なのは「慈悲」を神格化した観音菩薩で、基本となる聖(しょう)観音(単に観音様という時はこの観音を指すよう)と、そこから変化したものとして千の手(千の眼も持っている)で自在に人々を救済する千手(せんじゅ)観音、十一の顔を持ちさまざまな方向から衆生の声を聴き救済する十一面観音などがあります。観音の他になじみが深く人気の菩薩には地蔵菩薩があり、これはお地蔵さまと呼ばれ親しまれています。地蔵菩薩は、ブッダが亡くなってから地上に弥勒如来が現れるまでの56億7千万年の間(?)、生きとし生けるものを救済する役割があるのだそうです。その他、「3人寄れば文殊の知恵」の文殊菩薩は知恵をつかさどる仏で獅子に乗っている姿が多く、五台山竹林寺にもご本尊として祀られている(秘仏であり50年に1回しか公開されない)のを知っている方も多いのでは。如来も菩薩も、立像や座像などいろいろな姿勢をとっているものがあります(如来には座像が、菩薩には立像が多いような気がしますが)。
以上、少しややこしくなりましたがお寺の仏様を観る時に少し参考になれば幸いです。
To be continued(次は明王、天について)
(神仏習合)
平成最後の年の瀬ですね(№339)
細木病院グループの職員の皆様、こんにちは。もうすぐ年の瀬が来ますが、今年は、どんな年でしたでしょうか?
運が良かった人、悪かった人・・・人には、色々の人生があります。巡り合わせが良かったと思っていても、そうでもなかった人、何となく付いていなかったと思っていたけれども、今になったら良かったなあと思うことが多かったと思える人、等々、色々の出来事の結果が年末ですねえ。
考えてみますと、人生全て「塞翁が馬」の気がします。運命が巡り巡って、その人の人生が決まって行くのですね。長い人生の中で、ほんの些細な出会い、すれ違いによって、その人の一生が決まる気がしています。具合が悪くなった時、夜中だったにもかかわらず、偶然、専門医のいる病院が引き受けてくれたり、すごく幸運が付いて回る人もいれば、どうしてこんなにタイミングの悪い場所や時間に病気になったの?と思われる方もいらっしゃいます。
職員の皆様は、あらゆる病気の方々に直接、或いは、間接に携わる、やりがいのある仕事なのです。必要とされて、感謝される仕事では、医療が最も崇高な職業のように思います。仕事は、奉仕ではありませんが、どんなにしんどい仕事でも、心からの「有難う」の言葉がすべての疲れを癒し、気持ち良い満足感に繋がる様に思います。
笑顔や声掛け、勿論技術面でも、今年の自分より、新しい年の自分が、少しでも輝く年であります様に。今年も一年、大変お疲れ様でした。迎える新年が、職員の皆様にとって幸多からんことを心から祈っております。
(ナズトラビ)
世界のクリスマス(№338)
クリスマスはもともとキリスト教のお祭りですが、世界中に広がるにしたがって国ごとにさまざまな習慣が生まれました。
レバノンでは、クリスマスツリーは飾りません。代わりにクリスマスの2週間前に、レンズ豆やヒヨコ豆、小麦などを植えます。するとクリスマス当日までには芽が出るので、この芽を飾ってお祝いをするそうです。これはキリストの復活を象徴しているのだそうです。
メキシコでは、マリア受胎を祝うため、 12月16日から25日にかけての9日間をお祝いします。子どもたちは、ピニャータと呼ばれる派手に飾り付けされたくす玉を割ります。すると中からはお菓子がたくさん!子どもたちにとってのクリスマスの楽しみとなっているそうです。
アイスランドには、クリスマスまでの13日間、毎日家を訪れる13人のトロールがいると言われています。その日一日いい子にしていると小さなプレゼントを置いていってくれますが、悪い子だと腐ったジャガイモを置いていくそうです。サンタさんは1日しか来ませんが、13日も来ると考えればちょっとお得かも?
ニュージーランドは南半球にあるため、クリスマスの時期は夏真っ盛り。ビーチに行ったりキャンプをして、外で過ごすことが多いようです。そしてクリスマスのごちそうは、アウトドアの定番バーベキュー。
世界から不思議だと思われている日本のクリスマス習慣、それはケンタッキーフライドチキンを食べること。日本には欧米の家庭のようにローストチキンを一羽丸ごと焼けるようなオーブンがなかったところに目をつけ、ケンタッキーが大々的なキャンペーンを行い根付かせた文化だと言われています。アメリカなどの感覚からすると、大事なクリスマスのお祝いにファストフードを食べるなんて!ということなのでしょうが、ケンタッキーがクリスマスに食べられるようになってから早40年以上。もはや立派な伝統になったと言っても過言ではないでしょう。
(makonda)
雪舟の再発見!(№337)
雪舟にまつわる次の逸話はあまりにも有名です。小僧の頃絵ばかり描いているのを咎められ、和尚さんに懲らしめのため柱に縛られてしまい、夕刻に心配した和尚さんが様子を見に行くと、縛られた雪舟の前の廊下の床に生きたねずみがいるではありませんか。しかし、それは実は雪舟が涙で床に描いた絵だったという言い伝えです。
昨年秋に78年間行方不明であった雪舟の「倣夏珪山水図(ほうかけいさんすいず)」という団扇の形をした雪舟の真筆の絵が見つかり山口県立美術館で記念の展示会が開かれるという報道がありました。また、それに先立って、京都国立博物館で国宝展が開かれることを知りました。出品は多岐にわたり、縄文時代の土偶や火焔型深鉢土器、俵屋宗達の風神雷神図屏風、尾形光琳の杜若図屏風、漢委奴国王印などのいくつもの国宝と並んで目玉の一つが雪舟の水墨画(全て国宝)6点が揃うとの触れ込みでした。そこで私は、にわかに雪舟に興味を持ち、京都へ行って水墨画6点を実際に目にすることができました。しかし惜しむらくは、その中の四季山水図巻(山水長巻)は広げると実に17mに及ぶ大作の絵巻物でスペースの関係で全部が開かれておらず、半分の春と夏の部分しか見ることができませんでした。それが心残りで、後日、山口県立美術館に今回再発見された水墨画を見に行く際に、防府市にある本来の所蔵先である毛利美術館にも立ち寄り、京都から展示期間を終えて戻っているはずの山水図長巻の残りの秋・冬の部分を見ることを思い立ちました。実際に訪れて目にした長巻図の全長は、岩や崖の線を迷い無く描く荒々しく鋭いタッチ、それを駆使して切り取った長閑な春から厳しい冬へと移り変わる静謐な四季の風景、わずかな筆さばきにこめられた今にもヒトの息吹を感じさせる小さくてユーモラスな人物像、さらに水墨画なのに実際には緑の彩色が施されているという新しい発見もありました。
雪舟は作庭家としても知られ、京都東福寺(臨済宗東福寺派総本山)そばの芬陀院にある枯山水庭園を請われて作ったことでも有名です。それを賞して一寺を造って賜るとの時の九条関白の申し出を断り、周防大内氏の後援を得て遣明船で明に渡りその当時の中国の最先端の夏珪を始めとした水墨画の泰斗の画風を学んで帰国し、その画業を極めたそうです。京都で展示されていた国宝の水墨画はいずれも帰朝後の作品で、雪舟禅師のひたむきなその生涯に清清しい感動を憶えました。
(一観覧者)
「忖度(そんたく)」で思うこと(№336)
「忖度」は古くからある言葉で、中国の古典「詩経」や日本でも平安時代の「菅家後集」に見られます。
本来「忖度」の意味は「他人の気持ちを推し量る」ことで、それによる行動までは含まれません。従って良いも悪いもなく中立的な言葉です。人間社会においては相手の気持ちを推し量るというのは当然のことです。その結果どのような行動をとるかが問題であって、「良い忖度」にも、「悪い忖度」にもなります。
昨年、「森友・加計」問題で「忖度」が行われたと連日メディアに取り上げられ、ついに流行語大賞にも選ばれました。その結果「忖度」イコール「上役などの意向を推測して、相手に気に入られようと不適切な行いをすること」など、「忖度」はすっかり悪い意味になってしまいました。「悪い忖度」が今流行するのは、社会の許容範囲を逸脱し、デッドラインに達したという赤信号かもしれません。
一方、最近話題のAI(人工知能)は忖度をしないと言われています。
先頃、中国のIT企業テンセントのAIキャラクターが共産党を批判して話題になりました。「中国共産党万歳」と検索すると「こんなに腐敗している政治に万歳するの?」と反論したり、「中国の夢」に対して「それはアメリカに移住することだ」と回答したと報道され、これがネットで一気に拡散したため、テンセントはサービスを停止。その後、システムに調整が加えられ、同じ質問をしても「話題を変えよう」などと、はぐらかすようになったそうです。テンセントが中国共産党に「忖度」して、AIに「忖度」?をさせるようにしたことになります。
最近のAIは深層学習(ディ-プラーニング)の機能の進化が著しく、囲碁AIが人間の世界チャンピオンを負かすまでになりました。つまりビッグデータをもとに指示がなくても自己学習して、多方面で人間以上の能力を発揮できるようになる可能性があります。今はAI自ら「忖度」はできなくても、将来人間らしさを学習した、人間の常識や、感情、倫理観を備えたAIが出てくるとなると、その時は、AIは人間と同じように自ら「忖度」したり、「故意の嘘」をつくようになるかもしれません。人間がAIに忖度する時代が来るかもしれません。
我々はいつの時代でも、「良い忖度」をするよう心掛けたいものです。
(だだんだん)
ペットとの別離(№335)
最近、17年間を一緒に過ごした室内犬を看取った。生前、「何故、我が家の犬はこんなに可愛いのだろうか?」といつも不思議に思っていた。しかし、人類が誕生してからずっと、犬は人類のそばにいた歴史を見ても、犬ほど忠実で忠誠心の強い賢明な動物はいないことを考えると当然だろうか? いつも黙ってそばに座り、主人に異変があると即、対応し、くつろいでいることがわかると体を摺り寄せてきて体温の温かみを伝え、本当にほのぼのとした気持ちになった。彼は10歳頃から完璧に「人語」と「犬語」で会話をするようになっており、年を取るごとに眼は白内障になったり、歯が抜けたりしても、寡黙で我々に極めて忠実な「執事」の立場を保持していた。室内飼育であったから余計に一体感があり、ベッドに入る時も起床する時も一緒であることは、全く家族と同じであり、彼自身は私共の子供や孫と同格と考えているとしか思えない行動を見た。そして出勤時の見送り、そして帰宅時の出迎え、風呂、トイレでは何故かじっとドアの外で待っており、出ると代わりに入り、鼻をかいだり、風呂の水を飲むなど全く信じられない毎日の光景であった。隣近所の人はいつも彼に向かって、『お前はここにもらわれて本当に幸せだね』と言われていた。
このような「執事」がこの世からいなくなったことは、寿命とはいえ、その別離は特別にこたえた。我々人間は、愛するものを失う辛さや別離の悲しみを知ることによって、人が忘れてはいけない他人に対する愛情や家族の温かみを思い知らされる。また、この度の大雨災害によって多くの人々が被災されたが、忠犬たちはどうしているのだろうかとつくづく思う。さらに将来、少子高齢化の家族が少なくなっていく中で、家族同様の「執事」の存在は、死ぬまで最高の伴侶となりうる気持ちを掻き立てられた。我が家族は、可愛い犬から受けたこの上ない愛が余りにも大きかったとつくづく想い出し、いつまでも忘れることはない。
(チュウ)
電車に乗りませんか(№334)
ふる里高知には「とでん」の愛称で親しまれている誇り高き路面電車があります。6月1日から上町2丁目の電停の看板が「上町2丁目 社会医療法人 仁生会 細木病院前」となったとのことで、早速、上町2丁目まで乗ってみました。車内アナウンスでも同様のコールがあり、勤務先がコールされるのは気持ちが良いものでした。一度乗ってみてはいかがでしょうか。それでは、「とでん」についての豆知識について以下をご覧下さい。
1.開業は、1904年(明治37年)、110余りの日本一の歴史がある。
2.車両数は、ノルウェーやポルトガル等の外国電車、低床車両2編成、アンパンマンの車両(アンパンマンがピースしている車両やバイキンマンが大きく描かれている車両)、日高村や航空会社等の企業広告が描かれている車両等約60両超で運行している。中でもお客電車があり、団体で予約すればビールが飲める!職場の懇親会にいかがでしょう!
3.営業距離は、25.3㎞で軌道線では日本一である。停留所は77か所あり、中でも清和学園前~一条橋間の電停間の距離は63メートルと最も短い。
4.運賃は、基本区間大人200円、最大460円(はりまや橋 ⇔ いの、はりまや橋 ⇔ ごめん、いの ⇔ ごめんも460円)、65歳以上の方には「お出かけ応援定期」があり、3ヶ月18千円 6ヶ月33千円とお得な定期がある。
5.はりまや橋は桟橋線、ごめん線、いの線の交差する所で、孫と一緒に街へ出かけた時は「浜幸」付近で行き交う電車を見ると、6両位の電車を同時に見ることが出来る。中でも左折している車両に遭遇した時はラッキーです!
結構、取り鉄の方がいます。
以上、「とでん」の紹介でしたが、ご存知でしたか? 結構本数もあり、冷暖房完備の車両も多く、私は快適・便利に感じ、乗っている間読書も出来るので通勤に利用しています。終電は10時過ぎで、ちょっと一杯にも十分な時間です。電車のレールを見ると、このレールが様々な場所と人を繋いでいる安心感があります。バスも含めて「とさ電交通」には県民の足として是非頑張って欲しいと願っています。休日には電車に乗って出かけましょう!
たまに電車を利用すると、また違った景色が見えると思います。
(お茶のみ)
心が折れそうな時に…メンタルを強化する思考習慣(№333)
毎日の仕事や日常生活の中で、しばしば解決が困難な問題に遭遇することがあります。大きな問題を乗り越えることは非常に辛く、時として心が折れてしまいそうになることもあると思います。
そんなときのために有効になってくるのが、「逆境を乗り越える」人の思考パターンを知り、自分の中に取り入れることです。
簡単には心が折れず、逆境に立ち向かうことができる強い心の持ち主は、どんな思考習慣を持っているのでしょうか。
【1】等身大の自分を受け入れている
長所も短所も含めて「等身大の自分」を受け入れることで、適切な自信を持っている。
【2】相手を変えず、自分の「見方」を変える
人間関係において相手を変えようとするのではなく、自分の見方を変えることで感情のわだかまりを解消できる。
【3】徹底的に具体化する
不安や恐怖に直面したときに、曖昧さを排除し、具体化することで解決策を考えることができる。
【4】さまざまな視点から眺める
自分の立場から離れ、多くの違った視点(過去・未来・相手・第三者)から考えることで、常に冷静さを保つことができる。
【5】できることに集中する
自分の力では変えられないことではなく、自分ができることに焦点を絞り、行動することができる。
【6】運命を引き受ける
置かれた環境や辛い状況など、自分では変えられないことを受け入れることができる。
【7】完璧主義をやめる
0点か100点か、という極端な思考から抜け出し、複数の基準を設定することで柔軟に考えることができる。
【8】プラスの側面を見る
過去の出来事、未来への挑戦に意味や感謝を見出すことでモチベーションを高めることができる。
【9】「今」に集中する
過去の後悔や未来の不安をいったん脇に置いて、今、この一瞬に集中することができる。
これらの思考習慣を意識することで、逆境に負けないメンタルが手に入るはずです。ぜひ、ご自身の日常の捉え方に当てはめてみてください。
(まつりの夜店)
百歳まで、元気で生きて、故郷高知に活力を(№332)
昨年、安倍総理が「人生100年時代構想会議」を設置し、リカレント教育(社会人の学び直し)や、新卒の一括にならない採用の多元化、高齢者雇用の促進などが議論されている。この元になる本が、2年前に英国の女性、リンダ・グラットンの書いた「ライフ・シフト」である。以後、いろいろの書物が出てきている。実際、50年前の日本人の100歳以上の高齢者は258名であるのに、一昨年は67,000名以上になっている。しかもこの増加のグラフは、横にはなってきていない。ということは、このままいけば、2007年に日本で生まれた子どもが107歳まで生きる確率は50%を超すらしい。末恐ろしい結果だ。フレイル予防しなければ、最終的に、皆寝たきりになる可能性が高い。
我が高知県は、昭和26年ころには21,000人程の赤ちゃんが生まれていたのに、一昨年はその4分の1にも満たない4,986名だといわれている。高知県の人口減少は、当然死亡者数が出生数を完全に上回るだけでなく、今から社会に出て働こうとする若者たちの県外への就職数が多くて、尾崎知事の必死の政策にも関わらず、人口はどんどん減少する傾向にある。こんな状態の高知県では、起死回生の妙手など、そう簡単には見つからないだろう。
今こそ、皆で頭脳と力を合わせて、どうすれば良いかを考えることが必要である。県外、国外から、気候も、食べ物も、住んでいる人々の性格も良い、我が愛する高知へ住みついてもらいたいし、若者、特に子連れの若者に住みついてもらいたい。子どもの教育費や医療費を高校卒業まで無料にしたり、徹底的に援助し補助する。高知の良いところを、テレビやマスコミに訴えてみる。などなど・・・考え始めると、夜も眠れないなあ。
(アラジンのランプ)
龍馬マラソン・ボランティア体験記(№331)
昨年末、還暦を祝おうと、久しぶりに高校時代の同期会を10人ほどで行った。その時、東京オリンピックの話題で盛り上がった。私達は、東京オリンピックを二度も経験できる恵まれた世代である。(前回は、小学1年生であった。クラス全員で、アベベの怪走や東洋の魔女の活躍を食い入るように観ていた。)このラッキーチャンスを活かし、何とか、参加できないか?
そうだ! ボランティアだ! 高知にも、事前キャンプで海外チームが来るはずだ。その、ボランティアに参加しよう! 同期のI君と話は一気に盛り上がった。そのためには、ボランティアの予行演習だ!
まず、ホップは龍馬マラソンね! 次の、ステップはラグビーワールドカップだね! 東京オリンピックで大ジャンプ! 兎に角、まずは来年の龍馬マラソンでボランティアを経験しよう!
あっという間に話が進んでしまった。
年は変わり、2月18日、龍馬マラソン当日。朝7時半、私達2名は春野運動公園に集合していた。春野運動公園おもてなし隊に配属されたボランティアの朝は、思ったより早かった。おもてなし隊のメンバーは、約80名。見た目年齢では、私達は、間違いなく上位五傑入りしていた。午前中の作業は、完走者へのお土産作りである。お土産は、高知名物の帽子パンとごっくん馬路、ゆずゼリーの3品。倉庫に山積みされたこの3品を、10代の中高生に混じり、箱から出して、ただ、ひたすら袋詰め。なにせ、エントリー約1万3千人、出走約1万1千人に育った龍馬マラソン。完走者のお土産作りだけでも、大変であるが、やはり、若人のパワーは凄い。午前11時には、1万1千個、全て完了していた。
11時半頃から、いよいよ、完走者へのおもてなしが始まる。11時24分過ぎ、最初のランナーが右手を高く突き上げて競技場に駆け込んできた。おもてなし隊も、大興奮!
やはり、完走するランナーは、眩しい! 午後1時を過ぎると、完走者も一気に増えてきた。細木病院グループからも20人程が参加している。完走した職員を見つけると、完走を讃え、ただただ握手!
いや~、嬉しくなってきた~! 完走者に、ひたすら、“完走、おめでとうございます。”と声がけしていると、ゼッケンに出身地が書いていることに気付いた。そこで、遠くの都道府県のランナーには、おもてなしと感謝の意味を込めて、“秋田県から、はるばるありがとうございます。”、“鹿児島県から、ようこそ。”と声がけすることにした。そうすると、もう、効果的面。何人もから、“ありがとう。”とお礼を言われたり、握手を求められたり、抱き合ったり。これが、ボランティア冥利か~!
午後4時、おもてなし隊ボランティア活動、無事終了。長い長い1日であった。楽しく、そして、クタクタな1日でもあった。ボランティアのやり甲斐も、味わった。そして、I君と、2020年までの計画遂行を誓い合った。
(哀愁ボーイ)
トライ&エラー(№330)
山笑い水温む季節となりました。皆さん!お元気ですか?
お山大好き人間の「与作」です。
少子高齢化の進展、人工知能の驚異的な発展の中、人生100年時代を迎え、随所に時代のターニングポイントが見えます。
今回は、少し云い古された言葉ではありますが「トライ&エラー」についてナウ・レッツ・ビギンといきましょうか。・・・意味は、試行錯誤。英語では、Trial
and error。頭であれこれ考えているだけでは何も進まない、駄目元でも良いので目的達成を目指して、まずは、あれやこれやと試行錯誤しながら動いてみよう。・・・アクションを起こすことで、そこに新しい発見や課題が見つかり、また間違いがあれば修正し、繰り返しこの行程を重ねることで、物事は、より完璧なものになる・・・と云うことではないでしょうか。
「第四次産業革命」とも云われる激動変化の時代にあっても、こうした地道な「トライ&エラー」の動きこそが時代を動かす原動力ではないか・・・と改めて思います。与えられたこと、マニュアル化されたこと等は、もうすぐロボットが代行する時代が目前です。その時、貴方は、どのように対応されますか?
ところで、蛇足ながら、貴方の机の上は、去年の今頃に比べて綺麗になりましたか?・・・そうでない人は、早速にも、P(計画)、D(実行)、C(評価)、A(改善)のサイクルを廻してくださいね!
勇気を出して第一歩を踏み出そう!
曲がり角の先に
きっと良いことがあることを信じて。
それでは、いつか又の機会に ヘイヘイホー
(与作)
追記
第四次産業革命とは:現在進行中のIOT(モノのインターネット)をキーテクノロジーとし、産業構造を大きく変革しょうとするもの。因みに、第一次産業革命は、18~19世紀の「蒸気機関」、第二次産業革命は、19世紀後半から20世紀初頭の「電力」、第三次産業革命は、20世紀後半の「コンピュータ」を各々キーテクノロジーとするものである。
犬にちなんだ話(№329)
今年は戌の年。これは私が小学校4年の時に習い、唱歌で歌った犬の話です。
『4月、文子さんの家に子犬がやってきた。その親が軍犬として戦地で働いていると聞き、この子犬もそうしたいと思った。「利根」と名付けられた子犬は愛情いっぱいに育てられ、賢くたくましく育った。正月には軍犬班に入り、厳しい訓練をこなし、どの犬にも負けない軍犬となったこと、大事に育てているから安心してくださいということを、係の兵隊さんから聞いた。また、文子さんからの手紙を「利根」に見せると、懐かしそうに匂いをかぎ、目の色を変えて喜んでいるということも教えてくれた。「利根」はその後勇ましく出征し、戦場では敵のいるところを探し当てたり、夜近寄ろうとする敵の見張りをしたり、隊と隊の間のお使いをしたりと素晴らしい働きをした。そのうち「利根」のついている部隊は多くの敵を相手に激しく戦う時がやってきた。「利根」はその一線と本部との間のお使いをしていた。やがて敵が「利根」のことを知り姿を見つけると弾を浴びせるようになったが、弾の下をくぐるように抜け連絡を続けた。突撃の日が来て、「利根」は最後の通信を本部に届けるために走り出した。「利根」が見えたころ、敵の弾が容赦なく飛んできて「利根」は倒れた。係の兵隊さんは、敵の弾が飛んでくるのも構わず這うように駆け出して「利根」の体をしっかり抱きかかえた…。その後、係の兵隊さんから、突撃で敵の陣地は占領した。「利根」は足を撃たれたけど、よくなっている。そして「利根」は甲号功章(軍犬、軍馬が授かる最高の勲章)をいただけるという知らせが文子さんにあった…。』
文子さん、係の兵隊さんの愛情に満ちた慈しむ心に応えようとする「利根」の姿は、人にも通じることではないでしょうか。
さて、愛知県三ヶ根山の慰霊碑の中に、軍犬、軍馬の慰霊碑があるそうです。管理人さんの話では、戦争が終わり武装解除して内地に帰還となったけれども、軍犬、軍馬はすべておいて行けと命令が出たそうです。お別れの時には、犬や馬たちが兵隊さんのところへやってきて袖口をくわえて離さなかったそうです。そうして目に涙をいっぱい浮かべていたとのことです。
先の戦争では、多くの尊い人の命がなくなりました。そして同時に軍犬、軍馬といった動物たちもたくさん犠牲になったことを忘れてはいけません。戦争は絶対あってはならないのです。今平和と言われる世の中にいるからこそ、このことを真摯に考えなければならないと強く思います。
世の中が平和で穏やかでありますように。
それでは皆様だんだんよ。
(福井の隠居)
あとがき
徒然草に「すべて、一切の有情を見て、慈悲の心なからんは、人倫にあらず」(すべての生き物を見て、慈悲の心を起こさないような者は、人間ではありません。)と出ています。
2011年、全国の保健所に引き取られた犬猫234,062匹のうち、殺処分は185,086匹。殺処分の1位は高知県と言われています。これは一度ではなく、何度も続いているようです。
私の犬歴(№328)
昨年末の高知新聞の一面に「出生最少94.1万人、過去最低」厚生労働省(17年推計)、社会面に「飼い猫初めて犬上回る」ペッドフード協会(17年全国犬猫飼育実態調査)、2つの記事が載っていました。
因みに出生数最多は1949年の270万人。その前後生まれを団塊世代といいますが私もその一人です。小学校の頃、町内は子どもでいっぱいでした。その中を親方と一緒に大八車を必死で引いている犬をよく見かけました。ポインターでしょうか大きな犬でしたが、それが犬との最初の出会いです。中学になって我が家に犬がやってきました。今は見かけないスピッツ犬で、綿あめのような真っ白な毛と真っ黒な鼻が印象的でした。まだ番犬で家族の残り物を食べて縁の下で寝起きしていました。高校の時にいたビーグル犬はスヌーピーにそっくりで愛嬌がありました。その後高知を離れたので生き別れになってしまいました。帰高したのは平成の前年でバブルの絶頂期。ハスキーやレトリバー犬など、外国映画に出てきそうな大型犬があちこち散歩しているのには驚きました。シェルティー犬を飼い始めました。子供たちにオモチャにされながら一緒に育ちましたが、優しくて賢い犬でした。今いる柴犬は短毛・立ち耳・巻尾と生まれは申し分ないのですが、私の育て方が悪かったのかやんちゃで手を焼いています。
さて、犬人気の凋落の原因はというと高齢化の影響もあるようです。毎日の散歩に手がかかったりペットが長寿になったため、新たな飼育を断念する団塊世代が増えているようです。
戌年には我が家のワンコで年賀を飾ってきました。さてさて、この次は何犬だろうかと想像してみました。一回りすると超後期高齢状態、ロコモで散歩は億劫、知力低下で躾けはままならず老老介護は確実だ。今はAI(人工知能)が急速に進歩していろんなところに登場してきています。高性能AI搭載ワンコだと無駄吠えなし、躾けや散歩は不要、ペットロスとも無縁。飼い主の困った問題はすべて解決。そう、次はロボット犬にしよう。
(豆助)
素人の、素人による、素人のための仏さま ―序―(№327)
最近はお寺巡りをして各寺の御朱印を書いてもらうのが流行していて、お寺では色々とお洒落な御朱印帳が売られています。最近いくつかのお寺を廻り、仏像を見る機会があったので仏像・仏教について少し調べてみました。
なんと、、、仏様(像)の世界は4段階に分かれた階級社会でした! 高いランクから順に如来(にょらい)、菩薩(ぼさつ)、明王(みょうおう)、天(てん)となっているようです。なにか難しそうですが、ほとんどの人が聞いたことのある“お釈迦(しゃか)さま、観音さま、お不動さん、お地蔵さん”をはじめとして、寅さんで有名な帝釈天、大黒様や四天王、閻魔(えんま)様、さらに、仁王立ち、修羅場を演じる、三人寄れば文殊の知恵、恐れ入り谷の鬼子母神(きしもじん/きしぼじん)などいずれもこの4つの階級に属する仏様に関連したワードでした。また、上位階級の「如来」には、助さん角さん的役割の「菩薩」やガードマン(SP)的な「天」を従えるという構図がありました。面白いと思いませんか?
さあ、この不思議の世界をゆっくりと旅してみましょう。
まずは、よく耳にする奈良(東大寺)の大仏様から。4階級の最上ランクの如来に属しており、正式名称は盧舎那仏(るしゃなぶつ)または毘盧遮那(びるしゃな)仏といい、同じランクに属する釈迦如来の別名とされています。この仏様は極楽浄土の花である蓮(はす)の花(蓮華
れんげ)の花びらの台座に座っていてその1 枚1枚には大釈迦や無数の小釈迦がいるとされているため、勢い仏像があのように巨大となっているそうです。東大寺は奈良仏教の華厳宗(教典は華厳経、宗祖は良弁)の大本山で聖武天皇の勅願によって開かれた寺院です。
*蓮と間違えるものに同じ水生植物であるモネの絵で有名な睡蓮(スイレン)があります。いづれもインド原産で、概ね花が水面に咲くのが睡蓮で水面より上の方で咲くのが蓮ということで区別できるようです。ちなみにご存知のように蓮根(レンコン)は蓮の地下茎です。
To be continued(次は4階級についてもう少し詳しく)
(神仏習合)
お正月の風習(№326)
本来「正月」は1月の別称ですが、1日が元旦、3日までを三が日、7日までを松の内といい、さらに1月15日(地方によっては20日)の「小正月」まで、さまざまなお正月行事が行われます。昔から、元旦には「年神様(としがみさま)」という新年の神様が、1年の幸福をもたらすために各家庭に降臨するとされています。
「主婦は三が日に家事をしなくてよい」という風習があります。毎日仕事をしている女性を、家事から開放してあげるという意味があると言われています。そのために、数日掃除をしなくてもいいように年末の大掃除をしたり、三が日食べられるようにおせち料理を作ったりするのです。
「元日にはお風呂に入ってはいけない」という風習があります。これは、昔は風呂焚きというのは井戸から水を汲み上げ、薪に火をつけてお湯を沸かしといった重労働であったため、元旦くらいは家事をする女性を休ませてあげようといった理由だとされています。昔は元日に風呂を炊くと地獄の釜が沸くと言って忌み嫌われていました。
「元日は掃除はしてはいけない」と言われています。これは、せっかく来ていただいた神様を追い払ってしまうと考えられるためです。「元日に掃除をすると、わざわざやってきた福の神を掃き出すことになってしまう」ため、縁起が悪いのだそうです。同じ理由から、「洗濯も裁縫も風呂に入るのも禁止」。どれも、福の神を追い出してしまうことになるらしいです。
「お賽銭以外のお金は使わない!」「元日にお金を使うと、その年は浪費する年になるので、控える」という意味のようです。ちなみにお賽銭は大丈夫とのこと。1年をお金が出て行くばかりにしたくない場合は、初売りや福袋などは、元日に買いに行かないほうが良いとされています。これは、元旦にお金を使ってしまうと、その1年、財布からお金が出ていくようになるためです。お賽銭には使ってもいいというところがユニークですね。
(makonda)
幸せを友人にする為に(№325)
あっと言う間に、今年も半月を残すばかりとなりました。
「歳月人を待たず」とは、良く言ったもので、最近、つくづく実感しております。今年も、例年通り皆様に賞与をお届けできます事、職員の皆様のご努力とご協力のお蔭と、心から感謝致します。
皆様!今年の一年間は、如何でしたか。運の良かったなあと思っている人、付いていたなあと感じている人、そして、その反対の方も、きっとおられる事と思います。運を味方に付けるには、どうすれば良いのでしょうか。
私は、一緒に居て気持ちの良い人、ホッと出来る人と付き合う事だと思っております。そうすると、今迄感じていた、自分の心の中のエゴや執着から少しずつ抜け出すことが出来ると思います。そして、人の欠点に気付いても、出来る限り、人の悪口を言わない事です。他人の欠点を指摘しても、自己満足だけで、得ることは何もないのですから。そして、そっと後ろから他人を応援出来る様になれば、その結果として、自分自身も、きっと応援される事でしょう。自分自身の目的や使命を自覚して、懸命に努力する事は尊敬に値します。
好きな詩をお贈りします。
『人は信念と共に若く 疑惑と共に老いる
人は自信と共に若く 恐怖と共に老いる
希望ある限り若く 失望と共に老い朽ちる』
-岡田義夫訳- サミエル ウルマン
アメリカの詩人でマッカーサー元帥の執務室にかけてあったもので、松下幸之助氏が好んだところから広がったようです。
寒い毎日、十分にお身体にはお気を付けられて、明るい笑顔の年末年始をお過ごしください。
来る年が皆様にとって、佳き年であります様に、心から祈念致します。
(ナズトラビ)
たばこ(№324)
たばこは身体に悪いことは重々承知しているが、ストレス解消の手段でもあり愛好者にはなかなか止められない。山に登っていた頃は山頂での一服が至福の一時で、指先が黄色くなる位のヘビースモーカーであった。30歳代後半に日頃の不摂生で入院となり、主治医の先生に言われて禁煙を始めたが、朝起きると頭に「たばこ」の文字が浮かび、日中も口が渇くので最初はキャンデーやガムで気を紛らわしていた。その後、吸いたい気持ちが強くなった時には水を一口含むようにすると禁断症状が和らぎ、乗り切ることができた。以後、頭から「たばこ」の文字が消え、20数年禁煙が続いている。
たばこについて少し調べてみた。たばこの税金は、1箱440円(私が吸っていた頃は200円前後が主流)のたばこの場合、国のたばこ税106.04円、地方のたばこ税122.44円(道府県17.2円、市町村105.24円)、たばこ特別税16.4円、消費税32.59円、合計277.47円と63.1%が税金となっており、まるで税金を吸っているようだ。たばこ以外の税金では、ビール48.1%、ウイスキー26.5%、ガソリン55.4%だそうだ。
喫煙率は日本たばこ産業が今年7月に調査した割合では、男性28.2%、女性9%、全体18.2%であった。2015年:19.9%、2011年:20.1%と減少傾向ではあるが、アメリカ13.7%、スウェーデン10.7%といった先進国より高い割合となっている。
また、「高知市歩きたばこ等の防止に関する条例」をご存知だろうか。歩きたばことは、道路、公園、広場など公共の場所での喫煙、火のついたたばこを持っての自転車・自動二輪車に乗りながらの喫煙も含む。禁止区域は、高知駅周辺、追手筋、中心街の商店街周辺、高知市役所周辺となっている。罰則はないが、煙が人にぶつかったり、ポイ捨てが原因での火災のリスク、たばこを持つ手が子供の顔の高さ等危険もあり、マナーを守ることが大切である。
飲食店での禁煙はまだまだ浸透していないが、最近では昼のランチの時間帯は禁煙といった飲食店もあり、たばこを吸わない者に取っては受動喫煙にならないので大変ありがたい。禁煙または分煙の飲食店が増えればと願っている。
(お茶のみ)
“相互尊重”コミュニケーション(№323)
日頃のコミュニケーション、気持ちよく図れていますか?
相手に対して言いたいことを、過度に遠慮することなく声に出せ、相手の話を肩肘張らずに聴くことができる-コミュニケーション-がうまく図れると、会話が弾み、その場が楽しい雰囲気になりそうですね。
そのために、自分も相手も尊重しながら、きちんと主張できる「相互尊重コミュニケーション」を心掛けてみませんか。「発展的で協調的な自己主張」のスキル向上が気持ちのよい雰囲気づくりに役立つでしょう。
発展的-すなわち、次につながる、明日につながるということ。相手を論破しても意味がありません。無理やり自分の考えを押し通すような主張ではうまくないですね。正しい自己主張は、「次に、明日につながる」のです。
協調的-これは、遠慮するとか、相手に合わせ過ぎることとは違います。相手の知っている単語が使える、相手の興味のある角度から話ができる、すなわち、一歩相手に近づいて、聞いてもらえる話ができるということです。
コミュニケーションのとり方を振り返ってみましょう。コミュニケーションのタイプには、大きく分けて3つあります。ついつい偏りがちな、相手否定(攻撃型)と自分否定(受身型)の2つと、発展的で協調的な、相互尊重(積極的)のコミュニケーションです。
「攻撃型」は、強引に相手からYESを奪おうとします。結果、相手にいやな印象を残すので、次につながらず、会話は弾みません。
「受身型」は、何でも相手に合わせ過ぎてしまうので、便利な人、簡単な人だと思われても、信頼や尊重にはつながらず、結果、相手に選ばれない対象になってしまいます。
「相互尊重」は、しっかり自分の意見を率直かつ明快に伝えるけれど、相手の話も聞く。結果、相互の信頼関係が深まります。
日頃のあなたのスタイルはどのタイプに近いでしょうか。お互いがきちんと伝えあえて、聞きあえれば、楽しい雰囲気づくりができて、幸福感を味わうことが出来るでしょう。
(まつりの夜店)
屏風絵と和歌による日本の系譜(№322)
昨年、「国宝燕子花図屏風-歌をまとう絵の系譜」と題して、東京の南青山にある根津美術館で開かれた展覧会を見る機会がありました。
最初に、江戸時代の元禄年間に活躍した、欧米人に最も人気が高いとされる尾形光琳の筆になる国宝「燕子花図屏風」が展示されていて、それに対し、伊勢物語の「からころも きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる たびをしぞおもう」の和歌が添えられていました。頭文字の韻を踏むと「か・き・つ・は・た」となる折句の手法を用いた歌で、在原業平が燕子花を前に即興で歌ったとされ、ほとばしる才能を窺わせます。
展示されていた各和歌には、外国人向けに平易な英語訳が同時に表示されていて、古文に疎い現代人にもその歌の意味をつかむのがかえって容易でした。これらの中で私が一番気にいった歌は、「吉野龍田図屏風」の満開の桜の花の屏風絵に付された「ことしより はるしりそむる さくらばな ちるということは ならわざらなむ(習わないでほしい)」の歌でした。さて、この歌の作者は一体誰かと思い、後で調べたところ、平安時代に土佐の国司を勤め、土佐日記の作者で有名な紀貫之の作で、古今和歌集の中の一首と判明しました。
実際に、会場には外国人も多く来館しており、屏風絵と和歌が見事に調和する日本文化の一端を味わうとともに、古来人々が愛着を持って花々に接していたことを改めて感じました。
(一観覧者)
フィッシング詐欺に注意!(№321)
皆さん、怪しいメールが来ませんか?
それはフィッシングメールかもしれません。
フィッシング詐欺は、カード会社やショップサイトを騙ったメールを送信して、利用者に偽サイトにアクセスさせ、クレジットカード番号や個人情報を盗み取るという詐欺です。
フィッシングメールは「メンテナンスのため」「本人確認のため」「アカウント情報を更新するため」などの理由で、IDやパスワードを入力するサイトに誘導するものが多く、その手口も非常に巧妙化しているそうです。
今年、そのフィッシング詐欺にあってしまいました。
ある日、クレジットカードのWeb明細を覗いたところ、覚えのない海外での請求が7~8件ずらっと記載されていました。クレジット会社にすぐ電話連絡したところ、先方の対応は慣れたもので、本人確認と明細内容を確認して、すぐに詐欺請求と認め、即座にカード利用を停止する処置をとってくれて、こちらにはカードを破棄するよう指示をされました。
幸い、今回は実害がなく済みましたが、これには心当たりがあって、孫がiPadでアプリをダウンロードして遊んでいた頃に、「Apple IDのアカウントがロックされます」というメールに、ついクリックした覚えがあります。画面は一見本物と同じでした。
皆さんもメールを開くときには気をつけましょう。
※フィッシング詐欺対策
○日頃の注意
・メール内のリンクはクリックしないという習慣をつける。
・アカウントの適切な管理(安全なパスワードの作成、保管、更新)。
・メールの受信方法を「HTML」ではなく「TEXT」にしておく。
○怪しいと思ったら
・ブラウザ上に鍵マークがあるか確認。
・アドレスが「https~」で始まっているか。
・「差出人」ではなく「電子署名」があるか確認。
・メール内のリンクは絶対クリックしない。
・何よりも怪しいと思ったメールは削除するのが一番の対策。
○フィッシング詐欺にかかったら
・クレジットカードの場合は、すぐカード会社のコールセンターに電話で連絡する。
・被害にあったサイトのパスワードなどアカウント情報を変更する。
(だだんだん)