ペットとの別離(№335)

 最近、17年間を一緒に過ごした室内犬を看取った。生前、「何故、我が家の犬はこんなに可愛いのだろうか?」といつも不思議に思っていた。しかし、人類が誕生してからずっと、犬は人類のそばにいた歴史を見ても、犬ほど忠実で忠誠心の強い賢明な動物はいないことを考えると当然だろうか? いつも黙ってそばに座り、主人に異変があると即、対応し、くつろいでいることがわかると体を摺り寄せてきて体温の温かみを伝え、本当にほのぼのとした気持ちになった。彼は10歳頃から完璧に「人語」と「犬語」で会話をするようになっており、年を取るごとに眼は白内障になったり、歯が抜けたりしても、寡黙で我々に極めて忠実な「執事」の立場を保持していた。室内飼育であったから余計に一体感があり、ベッドに入る時も起床する時も一緒であることは、全く家族と同じであり、彼自身は私共の子供や孫と同格と考えているとしか思えない行動を見た。そして出勤時の見送り、そして帰宅時の出迎え、風呂、トイレでは何故かじっとドアの外で待っており、出ると代わりに入り、鼻をかいだり、風呂の水を飲むなど全く信じられない毎日の光景であった。隣近所の人はいつも彼に向かって、『お前はここにもらわれて本当に幸せだね』と言われていた。
 このような「執事」がこの世からいなくなったことは、寿命とはいえ、その別離は特別にこたえた。我々人間は、愛するものを失う辛さや別離の悲しみを知ることによって、人が忘れてはいけない他人に対する愛情や家族の温かみを思い知らされる。また、この度の大雨災害によって多くの人々が被災されたが、忠犬たちはどうしているのだろうかとつくづく思う。さらに将来、少子高齢化の家族が少なくなっていく中で、家族同様の「執事」の存在は、死ぬまで最高の伴侶となりうる気持ちを掻き立てられた。我が家族は、可愛い犬から受けたこの上ない愛が余りにも大きかったとつくづく想い出し、いつまでも忘れることはない。

(チュウ)

2018年08月27日