昭和20年8月15日の追憶から令和に(№348)

 第2次世界大戦の終結は、私が10歳の夏のこと。母から日本が無条件降伏したことを半信半疑で兄と一緒に聞きました。その後、夜、電気がついて、その明るさに驚き、安らいだ気持ちになったことを思いだす。それまでは、電燈の傘に黒い布をかぶせ、光が外にもれないようにし、いつも薄暗い家の中で過ごしていました。また、戦時中、流行歌は軟弱な歌とされ、非国民と言われていました。そのため、歌うのは決まって軍歌でした。ラジオで「リンゴの唄」が流れるのを聴いたときには、「戦争は終わったのだ」と実感したものでした。食べ物は終戦後も食糧難が続きましたが、数年たつと、正月や神祭には銀飯、寿司、餅なども食べることができるようになり、この日が待ち遠しくなりました。私は、父の仕事の関係で、生糸会社の社宅に住んでいたことがあります。女工さんがたくさんいて、ある時、女工さんの食事を見たことがあります。丸麦とさつま芋の入ったご飯で、米粒は見あたらず、薄いみそ汁の中に白菜の入ったおかずでした。それでも「欲しがりません、勝つまでは」の合言葉で繭の糸を取っていました。
 沖縄がアメリカに占領され、いよいよ本土決戦、一億総玉砕が叫ばれていた頃、アメリカ、イギリス、中国の3か国の首脳が戦争の終結を日本にすすめるため、「ポツダム宣言」を提示するようにしていたのです。昭和20年7月26日、宣言を日本政府に提示されたが、日本政府は「宣言を黙殺する」と発表。8月6日広島に、9日長崎に原爆が投下され、その間8日にソ連が対日宣戦布告。日本は宣言を受諾し、15日には昭和天皇の「玉音放送」が日本の敗戦を伝え、第2次世界大戦は終結したのです。
 混乱時期を経て、日本は民主国家として驚異的な復興をし、「昭和」から「平成」そして「令和」と元号が変わり、74年の間、戦争のない平和が続いています。しかし、この年月は、戦争の恐ろしさを風化させてしまいつつあることは否めません。昨今の諸々問題となった言動や行動からもうかがい知ることができるでしょう。中心となって日本を担っている方たちのほとんどが戦後生まれとなった今、平和について、そして戦争の恐ろしさを正しく知ることからかけ離れつつある現実を危惧せずにはいられません。
 令和は、「よいこと、おだやか」という意味の元号です。世界が戦争や災害のない平和な日々であることを心から願います。
 それでは皆さん だんだんよ

(福井の隠居)

2019年08月27日