素人の、素人による、素人のための仏さま 第三章(№379)
今年(2022年)のNHK大河ドラマは、鎌倉幕府が舞台となっていて、政治の実権が貴族(朝廷)から武士に移る時代の移り変わりが描かれるのではないかと思います。鎌倉時代は、それまで厳しい修行が必要だった仏教が一気に大衆化し、人々の中に広まり、日本人の文化、思想、芸術、生き方などに大きな影響を与えることになった鎌倉仏教が発展した時代です。平安時代末期から鎌倉時代初期は、保元・平治の乱や源平合戦など数多くの戦が繰り広げられ、天災、飢餓と相まって「末法の世」と考えられました。そのため、それ以前は鎮護国家の祈祷を主としていた僧侶(官僚僧)の身分から離れて民衆を救う仏法を求めた法然を祖とする浄土宗をはじめ浄土系四宗(浄土宗・浄土真宗・時宗・融通念仏宗)が登場し、一気に大衆化しました。また、座禅を特徴とする禅宗(栄西が伝えた臨済宗、道元が伝えた曹洞宗)が武士の間で人気を得ました。禅宗は、栄西、道元が中国(当時の宋)に渡って学んできたもので、座禅だけでなく日常のあらゆる作法の修行が厳しいとされています。禅は、インドから達磨(あの縁起物の「だるま」のモデル)によって中国に伝わり、唐と宋の時代に最盛期を迎えていました。
さて、鎌倉の仏像といえば最も有名なのは、建物の中に安置されていない鎌倉大仏ではないかと思います。この大仏は、浄土宗の仏教寺院 高徳院の本尊である阿弥陀如来坐像で、創建当初はお堂の中に収められていたようですが、大風や地震により損壊し、大仏自体も荒廃が進み、江戸時代に復興されています。この大仏の作者は不明ですが、「慶派」と呼ばれる運慶、それに連なる仏師たちの作風と中国宋代の仏師達からの影響の双方を併せ持つ、いかにも鎌倉期らしい仏像といわれています(高徳院ホームページより)。その運慶や快慶は、鎌倉時代の仏像彫刻を代表する仏師で、奈良東大寺南大門の両脇でにらみをきかしている「阿形」と「吽形」の仁王(=金剛力士)像が有名です(以前書きましたが、仁王は仏教世界のガードマン的存在とイメージされる「天」の階級に属する仏様とされています)。鎌倉時代の仏師とはいっても、鎌倉の地における仏師というわけではなく、奈良東大寺の復興や興福寺、静岡、横須賀の寺院などの造仏をしており、さらに全国の多くの寺院には彼らの作とされる(その真偽が不明なものも多数)仏像があるようです。快慶は、若いころは当時の朝廷の権力者だった後白河法皇に気に入られ、多大の支援を受けていたとのことです。大河ドラマでは、多分ここら辺のからみは描かれないでしょうけれど、ドラマを見る時に何かしら参考になれば幸いです。
To be continued !
(神仏習合)