素人の、素人による、素人のための仏さま 第二章(№359)
久しぶりに仏さまのお話しです。今回は4つの階層に分けられる仏像のうち、如来、菩薩に次ぐランクの「明王」と「天」についてです。この2つは“悟り”を開いたかどうかで区別される如来と菩薩の世界とは一線を画しているように思われます。前に説明した仏像最高位の如来が「悟りを開いた人」で、信じるものを救う象徴のような存在のイメージ、次の位の菩薩が「悟りを目指して修行する人」で人々を救済したり悟りに至ることを手助けする存在とイメージするならば(各如来をサポートする2つの菩薩の組み合わせが決まっていることは既に述べました)、明王は仏の教えに従わない者を怒りの表情、姿をして煩悩を打ち砕き、悟りに導こうとするイメージ、最下層の天(天は空のことではなく神を意味する)は、仏教世界のガードマン的存在とイメージされます。明王・天ともに古代インドの神様を起源としていて(天は仏教へ再就職した神々との説明もみられる)、いずれにも座像と立像があります。
明王は、密教と関わりが深く、その成立過程でインドの神々が取り込まれて誕生したようで、明王の代表として、密教の最高仏である大日如来の化身とされる不動明王(お不動さん)があり、その他に愛染明王、孔雀明王、大元帥明王などがあります。孔雀明王は、明王の中で唯一如来や菩薩のように美しく優美な顔をしています。
天の神々は、仏教宇宙の須弥山(しゅみせん)という高い山の四方に住み、そこを守護しているとされる四天王(持国天・増長天・広目天・多聞天)や天部の王様として山頂に座す帝釈天や梵天(ぼんてん)の他、阿修羅、山門の両脇でにらみをきかしている仁王(=金剛力士)、鬼子母神、韋駄天(いだてん)、薬師如来を守護する十二神将、七福神に参加している大黒天(日本の大黒天は大国主命の姿)、弁財天(美や芸術、富を授ける)、毘沙門天(次の多聞天の別名、妻が吉祥天)などたくさんの仏が含まれます。なお、帝釈天や梵天は釈迦の修行中から付き添っており、奈良時代の如来像には両者が脇侍となっていることが多いとのこと。また、阿修羅は帝釈天に娘を強引に奪われており、帝釈天に何度も戦いを挑むも負け続け、今なお戦っているとされ、その凄惨な戦いが「修羅場」の名称の由来です。これら仏像の表情には明王のような共通の特徴がなく、多種多彩な表情をもっています。天は仏教世界の単なるガードマンにとどまらず、“神様”としての存在に対して人々から安産や、商売繁盛、衣食住の充足など現世利益を期待されているようです。
これら仏像の中には、仏教がインドから中国を経て日本へ伝来する過程で本来の姿、性格から大きな変化を遂げているものも多くあります。このようにさまざまな仏像の名称、特徴を知ると、その一大“仏様ワールド”
に驚嘆してしまいます。
To be continued(次は仏教の歴史などについて)
(神仏習合)