オーディオの楽しみ「音は脳で聞く」(№356)

 音楽を聴くといえば、今どきはスマホからイヤホンで聞くということかもしれません。音源がレコードからCD、さらにハイレゾになっても、昭和世代の音楽愛好家は大型のスピーカーから大きな音で聴きたいという方も多いと思います。趣味のオーディオの目的は「良い音」で音楽を聴くことです。「良い音」とは「原音をいかに忠実に再生する」ことか、忠実度よりむしろ「聞き心地の良い再生音」なのかは論争が尽きないところです。
 私もオーディオを手頃なシステムで楽しんでいる一人です。雑誌やウエブサイトの記事などを見るのが楽しみで、スピーカーケーブルや電源タップ、壁コンセント等を交換したり、果てにはボタンのようなものを壁やプレーヤーに貼ったり、ケーブルにベルトを巻き付けたり、他人が見ればおかしなことをして、「高音の伸びが良くなった」、「低温の響きが良くなった」、「変わらん?」等と楽しんでおります。
 最近「オーディオの科学」というサイトに行き当たりました。開設者はご高齢ですが元大学教官で、専門は材料工学、磁性物理学。オーディオに関する疑問を多方面にわたって科学的に検討されています。「音は脳で聞く」という欄で、F.E.ブルーム著「脳の探検」によれば、耳に入った音は鼓膜を振動させ、その振動が内耳の蝸牛に伝わり、最終的には側頭葉にある聴覚皮質で音とした認識される。ただこの時、音の信号は、色々なパスや中継点に分かれて伝わり、視覚情報や過去の音の記録、言語野、知識野などにある情報と相互作用しながら聴覚皮質で統合され、音のイメージの形成や言語の認識が行われるそうです。オーディオシステムの良し悪しを議論する場合、普通はその物理的、電気的特性を問題にしますが、本当は、耳に入った音をそのまま聞いているわけでなく、ほかの情報、過去の経験などと照らし合わせるなどの脳内処理を経た後、最終的に音として認識されます。実際、「こんな良い音だった?」、「なんか音がこもっている?」など同じ装置で再生しているのに日によってかなり印象が違う時があります。
 かのジュリアス・シーザーの格言に「人は自分の見たいものしか見ない」というのがあります。目や耳から入る情報の全てが見えてる(聞こえる)わけではなく、自分に都合の良い状況、あるいはその人の経験や知識と論理的整合の取れた情報しか見ない(聞かない)という格言です。オーディオに限らず、シーザーの言うように人間の世界には「自分の見たいものしか見ない」ということは日常茶飯事にあるのではないでしょうか。

(だだんだん)

2020年04月27日