雪舟の再発見!(№337)
雪舟にまつわる次の逸話はあまりにも有名です。小僧の頃絵ばかり描いているのを咎められ、和尚さんに懲らしめのため柱に縛られてしまい、夕刻に心配した和尚さんが様子を見に行くと、縛られた雪舟の前の廊下の床に生きたねずみがいるではありませんか。しかし、それは実は雪舟が涙で床に描いた絵だったという言い伝えです。
昨年秋に78年間行方不明であった雪舟の「倣夏珪山水図(ほうかけいさんすいず)」という団扇の形をした雪舟の真筆の絵が見つかり山口県立美術館で記念の展示会が開かれるという報道がありました。また、それに先立って、京都国立博物館で国宝展が開かれることを知りました。出品は多岐にわたり、縄文時代の土偶や火焔型深鉢土器、俵屋宗達の風神雷神図屏風、尾形光琳の杜若図屏風、漢委奴国王印などのいくつもの国宝と並んで目玉の一つが雪舟の水墨画(全て国宝)6点が揃うとの触れ込みでした。そこで私は、にわかに雪舟に興味を持ち、京都へ行って水墨画6点を実際に目にすることができました。しかし惜しむらくは、その中の四季山水図巻(山水長巻)は広げると実に17mに及ぶ大作の絵巻物でスペースの関係で全部が開かれておらず、半分の春と夏の部分しか見ることができませんでした。それが心残りで、後日、山口県立美術館に今回再発見された水墨画を見に行く際に、防府市にある本来の所蔵先である毛利美術館にも立ち寄り、京都から展示期間を終えて戻っているはずの山水図長巻の残りの秋・冬の部分を見ることを思い立ちました。実際に訪れて目にした長巻図の全長は、岩や崖の線を迷い無く描く荒々しく鋭いタッチ、それを駆使して切り取った長閑な春から厳しい冬へと移り変わる静謐な四季の風景、わずかな筆さばきにこめられた今にもヒトの息吹を感じさせる小さくてユーモラスな人物像、さらに水墨画なのに実際には緑の彩色が施されているという新しい発見もありました。
雪舟は作庭家としても知られ、京都東福寺(臨済宗東福寺派総本山)そばの芬陀院にある枯山水庭園を請われて作ったことでも有名です。それを賞して一寺を造って賜るとの時の九条関白の申し出を断り、周防大内氏の後援を得て遣明船で明に渡りその当時の中国の最先端の夏珪を始めとした水墨画の泰斗の画風を学んで帰国し、その画業を極めたそうです。京都で展示されていた国宝の水墨画はいずれも帰朝後の作品で、雪舟禅師のひたむきなその生涯に清清しい感動を憶えました。
(一観覧者)